関西スクエアからのお知らせ

会員の寄稿

『ものを言う猫のはなし』
上方文化評論家  福井栄一様

内緒話.jpg ものの言い方は難しい。最近では飼い犬や飼い猫のことをうっかり「ペット」と呼ぶと飼い主に叱られる。「コンパニオンアニマル」と言わねばならないらしい。
 コンパニオンアニマルたる猫へ注がれる愛情は尋常ではなく、飼い主の多くが「この子は私の言葉が分かるんです」「意思疎通が充分に出来ています」と豪語する。
 しかし、上には上があるもので、人語を解するばかりかみずから人間の言葉を話せる猫が昔は居たらしい。江戸時代の随筆『耳嚢(みみぶくろ)』巻之四に載るはなしを紹介しよう。

 寛政七年(一七九五)のこと。牛込山伏町の某寺には、一匹の猫が飼われていた。
 ある日、この猫が庭へ飛来した鳩を狙っていると、気付いた寺僧がわざと大きな声を出して鳩を追い払った。猫に殺生をさせないためだった。すると猫は「残念なり」と人語を発した。
 僧は驚き、小柄(こづか)を抜いて猫を追いかけ、台所で取り押さえて言った。
 「畜生の身で人語を発するとは奇怪千万だ。今に人間をたぶらかすあやかしになるであろう。どうしてお前は話せるようになったのだ。そのわけを言わぬと、わしは殺生戒を敢えて犯して、この場でお前を刺し殺すぞ」
 猫が答えていうには、
「猫といえども、十年も生きておれば人語を発することが出来るようになる。さらに四、五年も経れば、変化(へんげ)の通力も具わるぞ。ただ、十年以上も生き永らえる猫が少ないので、人間たちがそのことに気づいていないだけだ」
 僧が、
「お前は生まれて十年も経っておらぬぞ。なぜ話せる?」
と続けて問うと、猫が言うには、
「俺は狐と猫が交わって出来た子なので、十年を待たずしてなせるようになったのだ」
 そこで僧が、
「そうか。そうした事情ならば命は助けてやろう。お前は今まで通りこの寺で暮らすがよい。但し、お前が人語を発することは我々二人だけの秘密にしておこう。他の者が知って騒ぎになっては困るからな。お前もわし以外の人間に話しかけてはならぬぞ」
と言い含めると、猫は三拝してその場から立ち去った。
 なお、猫はその日を限りに姿をくらまし、二度と戻らなかったという。理由は不明。

愛猫家の御方は、おウチの猫に試しに訊ねてみて下さい。猫にしか分からぬ事情があったのかも知れない

(完)