近江国を浅井殿が領していた頃の話。
小谷(おだに)城下の武家屋敷町の外れに、大昔から枝葉を生い茂らせた榎(えのき)の大樹があった。かつてこの地には神社が鎮座していたらしく、石の玉垣の残骸が散乱していた。
ただ、繁華な城下町のことゆえ周囲には人家が建ち並びはじめ、この地も殿様から蔵奉行 諸尾勘太夫(もろおかんだゆう)へ下しおかれた。勘太夫は屋敷を新築した。世人は榎木屋敷と称した。
ところが、かつて祀られていた神の祟りか、榎木屋敷には毎夜、生臭い風が吹き荒れ、その妖風にあたった者はたちまち体調を崩して寝込んでしまう。
困り果てた勘太夫は殿様へ窮状を訴え、恐懼しつつも拝領地を返上してしまった。
その後、屋敷の持ち主は目まぐるしく入れ替わった。例の悪風のせいで、ある者は前後不覚に陥り、ある者は命を失った。
こうして屋敷は無人となった。門は閉じられたままで辺りには蔦が這い廻り、邸内は荒れ放題だった。
さて、そんなある日のこと。
数人の若侍が集まって世間話に興じるうち「榎木屋敷は住む者に祟るから無人になって久しい」という話柄が出た。これを聞いた長浜金蔵という男は、
「神社の跡地に建つ屋敷が人間に祟るとは解せない。住人が
愚かしいので、根も葉もないことを言い立てるのだろう」
と嘲笑した。
すると偶然にも一座の中に榎木屋敷のかつての住人の縁者がいて、金蔵の言葉を聞きとがめ、
「そこまで大言を吐かれるのなら、試しに貴殿が榎木屋敷に
住んで、事の真相を明らかになされるが宜しかろう」
と挑発した。
こうなると金蔵も引っ込みがつかない。
さっそく然るべき筋へ願い出て、榎木屋敷の下賜にあずかった。
そして屋敷へ移るやいなや、
「この榎の大樹こそ、怪事を引き起こす張本人なり」
と見極めて、従者に枝葉を刈り取らせた。
するとその後、金蔵に特段の祟りもなく、例の悪風も止んだ。
皆は、
「金蔵の剛毅さが屋敷の怪異をねじ伏せた」
と誉めそやした。
これが平安貴族なら高僧か陰陽師を召し出し、調伏の儀式を行わせたことだろう。ところが武士の時代ともなると、有無を言わせず実力行使。怪事も流行歌同様、「世につれ」というわけだ。