街を歩くと、電柱に見慣れぬ紙片が貼ってあった。「ウチの子を見つけたらお電話ください」と大書してあり、首輪をつけた可愛らしい犬の写真と電話番号が載っていた。
飼い主は「迷子になったか、悪い奴に連れ去られたか」と気を揉み、居ても立ってもいられず、迷子チラシの作成と相成ったのであろう。
しかし、犬にも犬なりの事情があって己の意思で出て行ったのかも知れず、捜さないのが思いやりという場合もあり得るはずだ。
他方、草の根分けても捜し出さないと困るケースもある。居なくなった生き物が、毒蛇、毒蜘蛛、猛獣など、第三者に危害を及ぼす可能性のある場合だ。そうした典型例は1979年8月に起こった千葉の神野寺(じんやじ)の虎脱走事件である。
神野寺(千葉県君津市)は真言宗の古刹。寺伝に拠れば聖徳太子の創建という。当時の住職は筋金入りの動物マニア。十二支を構成する十二種類の生き物を境内で飼い、虎だけでもなんと12頭も養っていた。この種の十二支動物園を設置した動機は不明。単なる個人的な嗜好の故か、一種の宗教的使命感に燃えたうえでの敢行だったのか。とにかく、1979年8月、事件は起きた。
恐らくは管理不行き届きだったのだろうが、檻の扉がきちんと施錠されていなかったので、合計3頭の虎が脱走してしまった。
うち1頭はすぐに檻へ戻った。しかし他の2頭は姿をくらませた。事件が明るみになると、それまで平和だった町はたちまち騒然となった。虎の捜索には、警官や機動隊など約500人が動員された。ラジオは「虎が脱走しました。家の外は危険です」と繰り返し注意を呼びかけ、一時は住民に対して外出禁止令も出された。
2日後、事態はさらにヒートアップした。「獣の性質上、山間部へ逃げ込んだはず」との大方の予想を裏切り、虎の姿が市街地で目撃されたからである。市民は震え上がった。捜索隊は800人へ増員され、懸命の追跡が行われた。
さて、その甲斐あって、同日中に2頭のうちの1頭が発見された。相手が至近距離まで近づいてきたところを射殺した。
ところが、残りの1頭がなかなか見つからない。隊員たちにも疲労の色が見え、市民の受忍も限界に近づきつつあった。そんな中、8月28日には、某家の飼い犬が虎に噛み殺されていたことが判明。
当局は「次には人間を襲うかもしれない」とあせり、新たな捜索隊が投入された。そして同日、山中に潜んでいた最後の1頭をようやく発見して、射殺。26日間に及ぶ大捕物は終結した。
事件後、住職とその娘は、管理責任を問われて送検された。
憐れなのは2頭の虎たちだった。束の間の自由を得て山野を駆けたものの、最後に待ち受けていたのは、死の銃弾だった。合掌。