関西スクエアからのお知らせ

会員の寄稿

『お不動さんのこと』
上方文化評論家  福井栄一様

 毎月28日は不動明王の縁日。特に12月28日はその年最後の縁日だから「納め不動」という。
 不動明王は、地蔵菩薩と並び日本人には深く信仰されており、伝説・逸話には事欠かない。中でも有名なのが、『発心集』(鴨長明撰)巻六に載る「証空、師の命に替る事」である。[aa15.jpg

 その昔、三井寺に智興という高僧がいた。老齢に至って病に罹り、危篤に陥った。弟子たちは嘆き悲しんだ。
 稀代の陰陽師 安倍晴明が占って、こう述べた。
 「老師の病悩は前世からの宿業であり、本来ならば落命は避けがたい。しかし、弟子のどなたかが替わりに命を差し出されるならば、老師の命はきっと助かります。如何なさいますか」
 古参の弟子たちはこれを聞くや顔色を失い、目を伏せた。いくら尊い師僧のためとはいえ、身代わりに死ぬだけの覚悟や勇気は持ち合わせていなかったのだ。
 気まずい空気が流れる中、不甲斐ない先輩たちを尻目に身代わりを申し出たのは、末弟子の証空だった。晴明は頷いて帰って行った。証空はまずは八十歳になる母を訪ね、事情を話して今生の別れを告げた。老母はこれを聴き、
「何事もお師匠様を救うためじゃ。心安かに旅立ちなされ。ひと足に来世で赴き、後から来る私を出迎えておくれ」
と涙ながらに諭した。
 こうして老母への挨拶を済ませた証空は急ぎ寺へ戻り、「すぐさま祈祷を始めて欲しい」と晴明へ書状を書き送った。
 さて、夜になると、自室にいた証空は凄まじい頭痛と高熱に襲われた。晴明の祈祷が効き始めたのだろう。苦痛に身悶えしながら、証空は、長年にわたり護持してきた不動明王の絵像に祈りを捧げた。
 「病苦がこの身を苛み、これ以上は耐えられそうにありません。あなた様への祈祷もこれが最後かと思われます。どうかお師匠様をお救い下さい。そして、死後の私が悪道へ堕ちぬようにお導き下さい」
 すると、絵像の不動明王が血の涙を流し、
「汝が師の身代わりになるのなら、私は汝の身代わりとなろう」
と証空へ告げた。
 すると途端に、証空の身体が軽くなった。先刻までの苦痛は消し飛んだ。と同時に、師の病悩も嘘のように消え去った。

 証空のけなげさに比して、兄弟子たちの浅ましさといったら呆れるほかない。本復してからこの経緯を知った智興は、彼らをどう処断したか。残念ながら、『発心集』はそれを記していない。

(完)