「他人の家で勧められた食べ物は、たとえ口に合わなくても、『美味しい、美味しい』と愛想を言って平らげなさい。残すと失礼にあたるよ」と子に諭す親は、いまでも多いのだろうか。
そうした教えを鵜呑みにしてよいものか判断に迷う民話が、みちのくには残っている。
むかし、ある寺の和尚が「高野山に行って修行してくる。留守を頼んだぞ」と小僧に言い渡して、村を出立した。
小僧は言いつけどおり留守番をしていたが、何週間経っても和尚は戻ってこない。小僧は和尚を捜しに高野山へ向かった。
途中、深い山があり、麓に一軒家が建っていた。母屋の横には大きな牛小屋があった。「山奥でこんなにたくさんの牛を飼うとはおかしなものだ」と思いつつも、小僧は一夜の宿を請うた。主人や家族は思いのほか歓待してくれた。
食事まで少し間があるというので、小僧は牛小屋を覗いてみた。すると、つながれていた牛のうちの一頭が小僧を見るやポロポロと涙を流し、板壁に舌で「モチクウナ」と書いた。
そのうちに主人が呼びに来た。座敷へ通され、食事を摂っていると最後に餅が出た。「ははん、これだな」と思った小僧は食べたふりをして、餅を懐へ入れた。
さて翌朝。小僧は例の餅を小さく刻み、気づかれぬように家族が食べる飯の中へ混ぜておいた。そして物陰から様子をうかがった。家族は小僧の姿が見えないのを不審に思ったが、厠へでも行っているのだろうと思い、先に食事を始めた。しばらくすると、家族は身もだえし、足先からみるみるうちに牛へ変わっていった。「よめたぞ。小屋にいたあの牛は和尚様だ。他の牛たちも元は人間だったのだ」と思ううち、座敷の牛の一頭が裏庭へ駆けて行き、植わっていた樹の枝を食いちぎって持ってきた。そして、枝についた葉を喰い、家族にも喰わせた。すると、牛たちは足の方から人間へ戻った。
小僧は急いで裏庭へ廻り、葉をたくさんちぎって牛小屋へ運び、牛たちに喰わせた。彼らは次々、人間へ戻った。
和尚と小僧は捕まらぬように必死で村へ戻り、役人にいきさつを話した。半信半疑の役人たちがとりあえず問題の一軒家へ駆けつけてみたが、家はもぬけの殻だった。
あの家族は、旅人に特製の餅を喰わせては牛に変え、それを売って生計を立てていたのだろう。いままでどれだけの多くの人が罠にかかったことか。
人間を牛に変える恐ろしい餅。
中身がなんであったのかは、和尚にも小僧にも見当がつかなかった。ただ、この一件からしばらくの間、なんとなく薄気味悪いというので、村人たちは餅を口にしなかったという。