関西スクエアからのお知らせ

会員の寄稿

『夕立の秘密』
上方文化評論家  福井栄一様

 丹波を旅していると、宿屋の仲居が、
「この辺は夕立が多いんです」
とこぼしていた。
 「他所者(よそもん)がえらそうなことを言うようですけど、それについては、こんな話を読んだことがあります」
と、丹波の民話を教えてあげたかったのだが、向こうも忙しそうな様子だったので、長話に付き合わせるのも悪いと思い、切り出さなかった。
 その罪滅ぼしというわけでもないが、言いそびれた話をここで紹介しておきたい。

18.jpg むかしむかし、丹波の山奥に大きなオロチが棲んでいた。
 山から下りるたび、村の牛や馬をひと呑みにしてしまうので村人たちは難儀していたが、退治する術も見つからず、泣き寝入りするほかなかった。
 ある年の夏のこと。長い間、雨が一滴も降らず、谷川の水も尽きようとしていた。村の田畑が枯れ果てるのは、時間の問題だった。
 そんなわけで山に棲むオロチも喉が乾き、ある夜、村へ下りて行って、ため池にわずかに残っていた水をすべて飲み干してしまった。
 翌朝、干上がったため池を見て皆は仰天し、絶望した。もはや「苦しい時の神頼み」しか方法がなかった。村人たちは山の頂まで登り、火を焚いて、雨乞いの儀式をおこなった。それは夕方まで続いた。
 やがて、その火がひょんなことで周囲の木々に燃え移り、だんだんと広がっていった。そして、水を腹いっぱい呑んで機嫌よく寝ていたオロチの棲み処まで火は進み、オロチの背中をジリジリ焼いた。
オロチは熱くてたまらず、昨晩呑んだ水をびゅうびゅう、ざあざあと口から吹き出して周囲の火を消し、おのれの背中を冷やした。
 おかげで村は夕立に見舞われた。事情を知らぬ村人たちは、雨乞いの儀式のおかげだと喜んだ。
 気の毒なのはオロチだ。
 背中の傷は、すぐには治らない。何日経っても、夕方になると決まってヒリヒリ痛む。けれども、腹の中の水は全部吐いてしまって、もう残っていない。
 そこでオロチは、夜になると背中を冷やす水を探し求めて遠出した。丹波の山を越え、山城の山を越え、とうとう琵琶湖まで出かけて行って水をたらふく呑み、棲み処へ戻った。そして、夕方、背中が痛むと水を吹き出して冷やし、水が切れるとまた琵琶湖へ向かうという生活を、夏じゅう続けた。
 これによって丹波では、夏の夕立が名物になったのだという。

 もし今夏も夕立が多かったなら、オロチの背中の傷はまだ治っていないことを意味する。相当の長患いと言わねばなるまい。

(完)