関西スクエアからのお知らせ

会員の寄稿

『人から牛、牛から人』
上方文化評論家  福井栄一様

 長らく人間至上主義の思潮の強かった西欧では、人間が動物へ生まれ変わる神話伝説は多くとも、動物が人間へ生まれ変わる話はごく例外的だった。
 「おいおい、ちょっと待て。小さい頃、醜いカエルが美しい王子様へ変身する話を絵本で読んだぞ」という人があろうが、あれは魔法の力で一時的にカエルの姿へ変じていた王子様が、元の人間へ戻っただけ。信心深いカエルが神様に頼んで、王子様にしてもらったのではない。
 ところが、日本の物語世界では、動物と人間の関係はもっと融通無碍で、「人間→動物」「動物→人間」の転生譚が入り乱れて存在する。

 今年の干支にちなんで、牛に注目してみよう。

 [[aa-15.jpgまずは、人間が牛へ生まれ変わる話。
 大和国の山村に住む某が、ある夜、僧を家に泊めた。翌日、法会をおこなってもらうためだった。僧は部屋に用意された上等の布団をかぶった刹那、ふと思った。「明日の法会を終えて布施を貰うより、今宵、この上等の布団を持ち逃げした方がカネになるな」すると、「それはいかん」と大きな声がした。僧は驚いて周囲を見回したが、誰も居ない。壁の外に一頭の牛がつながれているだけだった。僧が牛に近づくと、牛は言った。「わしはこの家の某の父親だ。生前、わしは息子の稲を十束ほどくすねて、ある者へ渡した。その罪のせいで、今はこうして牛の身だ。嘘だと思うなら、明日の法会の際、わしの座を用意しておいてくれ。ちゃんとそこへ座るから」
 翌日、法会の後、僧は某の一家に昨夜の顛末を話し、藁で座を用意させた。すると例の牛が膝を折り、きちんとそこへ座るではないか。某は落涙して「稲のことは最早構いません」と牛に語りかけた。これを聞くと牛も涙を流し、やがて死んだという。(『日本霊異記』」)

 次は逆に、牛から人間へ生まれ変わる話。
 むかし、大変に色黒の僧がいた。聡明で法華経をよむ声も美しかったのだが、なにせ色が黒いので、何かと馬鹿にされていた。ある日、僧は長谷寺の観音菩薩に祈り尋ねた。すると、夜分に夢告があった。「そなたの前世の身は、黒牛であった。長らく持経者のために働き、常日頃から法華経が自然に耳へ入っていたので、その功徳によって牛の身を離れ、今の人間の姿を得たのだ。今後は肌の色に拘泥せず、一心に修行せよ。さすれば次の世では弥勒菩薩との対面も叶うであろう」
 ここまで聞いて、僧ははっと目覚めた。以降、僧は一層修行に励み、ついに悟りを得たという。(『法華験記』)

 こうした話を荒唐無稽と笑うのはたやすいが、「清く正しく生きよ」という教訓は古びない。年末年初に噛みしめるべきだろう。

(完)