関西スクエアからのお知らせ

会員の寄稿

『柿のはなし』
上方文化評論家  福井栄一様

 日本の秋の風物詩である柿は、カキノキ科の落葉果樹。
 日本人との付き合いは古く、弥生時代の遺跡からは炭化した柿の種子が出土している。柿樹製の杭も見つかっているから、弥生人と柿との関わりは相応に深かったものと思われる。

 ともあれ、柿の魅力は、なんといっても果実であった。果物が乏しくなる冬季にあって、汁気たっぷりの甘い味は、大自然から人間への贈り物であった。年中行事の代表格たる正月の行事に串柿が欠かせないという一事にも、柿に対する人々の偏愛が現れている。
 ただ、柿の用途は、なにも食用に限らなかった。

 まず、実用面としては、柿渋の有用性を忘れてはいけない。化学薬剤・合成物質などが登場するはるか以前から、柿渋は防腐剤・防水剤として庶民に珍重された。
 また、薬効もある。果実は二日酔いに効き、しゃっくりが止まらぬ人には、乾燥させた柿のヘタを煎じて飲ませた。干し柿の表面の白い粉は咳止めになり、新鮮な柿の葉は茶葉代わりに使われた。
 さらに、日本人は柿を実用樹以上のものと考えていたフシがある。というのも、昔話を思い起こすと、物語の重要な場面に柿樹がしばしば登場するからだ。誰でも直ぐに頭に浮かぶのは「猿蟹合戦」だろう。猿が登るのは柿の木だし、握り飯と交換されるのは柿の種だ。他には、「天道さんと金の綱」という昔話が有名だ。

[[aaaaa.jpg 昔、母親と三人の息子が暮らしていたが、ある日、母親は山中で山姥に喰われてしまった。
 山姥は母親になりすまし、三人が待つ家の戸を叩くが、賢い長男が警戒して「本物の母さんかどうか確かめるから、戸の隙間から腕を出してみろ」と言う。山姥が腕を差し入れたが、「こんな毛むくじゃらの腕じゃない」と疑って、戸を開けない。そこで山姥は、他所で腕を芋汁で洗ってから、再び腕を差し入れた。
 長男はスベスベになった腕を見て、あやうく信じかけたが、今度はしゃがれた声が妙だと咎めた。すると山姥は他所で卵を呑み、声を良くしてからもう一度呼びかけたので、長男はだまされ、とうとう戸を開けてしまった。
 山姥はすかさず三人へ襲い掛かった。三人はかろうじて外へ逃れ、大きな柿の木へ登った。三人が天の神様にお願いすると、金の鎖が下りてきたので、それをつたって雲の上へ逃げのびた。
 遅れた山姥もようやく柿の木へ登り、天に鎖を請うと、するすると下りてきた。しめしめと思いつつ登ったが、よく見ると、すがっていたのは鎖ではなく泥縄だったので、途中でぷつりと切れ、山姥は地面へ落ちて死に、おかげで三人は助かったという。

 柿の木が生活樹と霊樹の二つの顔を持つことを、この話は教えてくれている。

(完)