関西スクエアからのお知らせ

会員の寄稿

『意見と異見』
上方文化評論家  福井栄一様

 凡人は、世の様々なしがらみに絡め取られ、言いたいことも充分に言えない。
 が、かつては、時の権力者への直言で知られた傑物もいた。その一人が、権中納言・藤原長方(ふじわらのながかた)(一一三九~一一九一年)である。十三世紀初頭成立の『続古事談』第二には、こんな逸話が載る。

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 六波羅の平清盛が福原に新京を造営して、しばらく経ったころ。
 清盛が古京と新京の優劣を論じたいと言い出して、古京に居残っていた公卿たちを福原へ召喚した。
 勿論、公卿たちは遷都に反対。
 しかし、いざ評定の場に臨むと、清盛の威を恐れて黙した。
 そんな中、藤原長方だけは、遠慮会釈なく新京の欠点を挙げ、古京の優位性を訴えた。その結果、評定は還都と決した。
 後日、公卿たちが長方に言った。
 「あの時の貴殿には驚かされました。清盛お気に入りの福原京をあそこまで貶されるとは。清盛の逆鱗に触れたかも知れないのですよ」
 すると、長方が答えて言うには、
 「それは勘違いなさっていますよ。あれは清盛の意向を慮っての発言です。彼が激怒する筈がない」。
 「中国や本朝の先例を鑑みれば分かることですが、そもそも新奇なことを始める者は、他人の意見などお構いなしに自分のやりたいように仕出かすものです」
 「ところが、時が経ち、自分の所業に疑念や後悔の念を抱き始めると、途端に周囲の者たちに意見を求めます。今回の一件がまさにそうでしょう。もし、清盛が遷都の正当性に絶対の自信を持っていたなら、どうして我々の意見など求めましょうか。この時期に、評定が開かれると耳にした時点で、私は清盛がすでに遷都を悔いているのだと悟りました」
 「だから、あの場では遠慮会釈なく新京を貶し、一日も早く還都すべきだと主張したのです。それが清盛の意にも叶うことですから。私の言を聞いていた清盛は、怒るどころか、内心ではにんまりしていた筈です」
 長方のこうした見立てを裏づけるかのように、清盛はこの件以降、長方に一目置くようになったそうです。

 家族や友人でもよい、後輩や部下でもよい、とにかく身近な者の中に一人でも、長方のような智慧者を持ちたいものです。否、我こそはと思われる御方は、ご自分が第二の長方に!?

(完)