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会員の寄稿

『親の心、子知らず』
上方文化評論家  福井栄一様

 「親の心 子知らず」が当該親子の域を超えて、第三者に思わぬ悲劇をもたらす場合がある。能楽『満仲(まんじゅう)』(または『仲光(なかみつ)』)がその典型である。

 源満仲は、学問に精励させるべく、息子の美女丸を摂津中山寺へ預けた。
 しかし、親の心 子知らず。美女丸は、武芸の鍛錬に勤しむばかりで、学問修業にはまったく関心を寄せなかった。
 その風評を耳にした満仲は、家臣の藤原仲光に命じて、美女丸を屋敷に召し出した。そして、試しに歌道や経典などについて問うてみたところ、美女丸の答えは要領を得ない。やはり噂は本当だったのだ。
 激怒して美女丸を手討ちにしようとする満仲。仲光がかろうじて押しとどめると、満仲は仲光に「後刻、お前が美女丸を討ち、その首を持参せよ」と厳命した。
 いくら主命とはいえ、若君の命を奪うのは忍びない。どうしたものかと懊悩する仲光。そうした父の苦衷を見かねた息子・幸寿丸は、みずから美女丸の身代わりを申し出た。仲光は涙をのんで幸寿丸を斬り、その首を美女丸の首だと偽って、満仲へ差し出した。
 その後、恵心僧都(えしんそうず)が美女丸を伴って満仲の屋敷を訪れた。死んだはずの美女丸の登場に驚く満仲。事情を聞いて、仲光の計略と美女丸の不覚悟を憤るが、やがては赦し、一同で宴となった。
 仲光は、請われるまま舞を披露するが、可愛い我が子を手にかけた悲しみに押し潰されそうだった。
 そうこうするうち、恵心僧都と美女丸が寺へ戻って行く。二人を寂しく見送るほかない仲光であった。

 ちなみに、住吉大社の神託を得た満仲は、摂津国多田(兵庫県川西市)に入植して多田荘を営み、巨大な家臣団を抱えて権勢をふるった源氏の祖と称えられ、頼光・頼信・頼義・義家とともに多田神社に祀られている。鎮座。.jpg美女丸の逸話の真偽は措くとして、長男・頼光が多田源氏、次男・頼親が大和源氏、三男・頼信が河内源氏の祖として活躍した史実を見る限り、「親の心 子知らず」とは真逆の一族だったと言えよう。

 なお、多田神社の前身は、天禄元年(九七〇)建立の多田院鷹尾山法華三昧堂。度重なる天災や戦火で幾度も焼失と再建を繰り返した。現在の本殿は、将軍徳川家綱によって寛文七年(一六六七)に寄進されたものだ。広さ一万六千坪といわれ、国の史跡にも指定されている神域は森厳そのもの。ぜひ一度、ご参拝あれ。

(完)