関西スクエアからのお知らせ

会員の寄稿

『五月山の謎』
上方文化評論家  福井栄一様

 寛弘年間頃成立の『拾遺和歌集』には、紀貫之による次の詠歌が載る。

   五月山 木(こ)の下闇に ともす火は

   鹿のたちどのしるべなりけり

 (五月の山に於いて、その木陰の暗闇にともす火は
居る処を知らせる導きなのだ。)

 同歌に対し、顕昭(けんしょう)(一一三〇頃~一二一〇年頃)『拾遺抄註(しゅういしょうちゅう』の中でこう注釈する。

  「さつき山は五月のやまとよめるなり。万葉にも五月山と
   よめり。」

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 これに拠れば、貫之のいう「五月山」は、大阪府池田市の五月山(標高三一五・三メートル)ではなく、漠然と「陰暦五月の山」を意味することになる。まず穏当な見解だろう。

 なお、上記の『拾遺抄註』にいう「万葉にも五月山とよめり」とは、『万葉集』巻十所収の次の和歌のことだ。

   五月山 卯の花月夜 ほととぎす

   聞けども飽かず また鳴かぬかも

 (五月の山。卯の花の咲く月夜。辺りに響くほととぎす
  の鳴く音は素晴らしく、聞き飽きることがない。)

 ここでいう「五月山」も、普通名詞と解した方が自然だ。

 鑑みるに、十四世紀頃成立の『歌枕名寄(うたまくらなよせ)』のように「五月山」を摂津国の歌枕と解するのは、ちと苦しい気がする。

さて、池田市民を敵に回してはいけないので、ここらで急ぎ、池田市が誇る五月山へ話を戻すと、著名な景勝地なのに、地名の語源はいまひとつはっきりしない。よく言われるのは、かつてこの辺りに住んでいた豪族・佐伯部(さえきべ)に因むというもの。つまり、元々は佐伯山と呼ばれていたのに、いつしか五月山が汎称になった、という説明だ。

では、呼称変化の原因は何か。これにも諸説ある。

 例えば、転訛説。享保年間に編纂された地誌『摂津志』等はこの立場を採り、「実は佐伯山なり。今訛って五月山といふ」と記す。

他には、誤写説がある。国学者の契沖(一六四〇~一七〇一年)等が唱えている。「さへき」と書くべきところ、誰かが迂闊にも「さつき」と誤写し、それが修正されぬまま定着・流布してしまったのだという。墨書された「へ」と「つ」は酷似しているから、起こり得る話ではある。

「詳しく聞けば聞くほど、頭がこんがらがってきた」という御方は、眺望抜群の日の丸展望台へ、是非お出ましを。気分は爽快、思考が冴えること、請け合いです。

            
(完)