2020年3月15日開催 「ようこそ 上方舞の世界へ」ご案内

会員の寄稿

『岩見重太郎のこと』
上方文化評論家  福井栄一様

 岩見重太郎(いわみじゅうたろう)と聞いてピンとくる人は、もう少ないかも知れない。かつて講談等のヒーローとして一世を風靡した、安土桃山期の武芸者である。

 講談本・実録本等にみられる岩見重太郎の人物像は、おおむね以下の通りである。

 岩見重太郎は、筑前国小早川家の剣術指南役・岩見重左衛門の息子。父を闇討ちにし、兄・重蔵を返り討ちにして逃亡した宿敵・広瀬軍蔵を追い求め、武者修行も兼ねた旅に出た。

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 途中、ある地では山賊を蹴散らし、また別の地では妖しい狒々(ひひ)を退治して村人を救うといった具合に、諸国に武勇の令名を轟かせたが、1590年、とうとう仇の広瀬に巡り合った。広瀬は、丹後国宮津城主・中村一氏の剣術指南役を務めていた。

 そこで、後藤又兵衛らの助太刀を得て、天橋立にて、軍蔵一味を見事討ち果たしたという。

 岩見重太郎による狒々退治譚は、岡山・島根など各地に伝わるが、実は浪花の地にもある。舞台は野里村(現在の西淀川区野里)だ。

 かつてこの地は中津川に面し、風水害を被ること頻々であった。さらに疫病の流行も珍しくなく、村人たちの懊悩は尋常ではなかった。そんな折、「災厄を逃れたくば、村の生娘を年に一人ずつ、生贄に捧げよ」との恐ろしい神託が下った。屋根に白羽の矢の立った家は、娘を唐櫃に入れ、夜のうちに神へ差し出さねばならなかった。そして月日は流れ、七年目の供犠の日。

 武者修業中の武芸者・岩見重太郎がたまたま村を通りかかった。泣き叫ぶ村人たちから事情を聞いた重太郎は、「神みずからが、そのように理不尽な人身御供を命じるとは思えぬ。これはひょっとすると・・・」と大いに怪しみ、本来捧げられるはずの娘の代わりに唐櫃へ入り、神と自称する者の訪れを待った。

 真夜中になり、何者かが唐櫃に近づくや、重太郎は外へ躍り出て、相手と死闘を繰り広げた。そして、ようやくのことで相手を刀で刺し貫いた。夜が明けてから確かめてみると、それは大きな狒々であったという。

 無論、「なんだ、岩見重太郎をお馴染みの猿神退治譚の主人公に仕立て上げただけじゃないか」と指摘するのは容易い。

 しかし、此処では、そんなことよりも、遠い昔の人身御供の遺風が、かの地の祭礼にいまだ影を落としていることに注目したい。野里住吉神社(西淀川区野里)の奇祭「一夜官女(いちやかんじょ)祭」がそれである。氏子から選ばれた少女7名が、7つの夏越桶(なごしおけ)に収められた神饌を神前に捧げる。300年以上も続くこの祭りは今年も2月20日に催行される。あなかしこ。

  
(完)