「アベノミクスの行方」講演録(2019/11/06)

会員の寄稿

『年越し蕎麦 考』
上方文化評論家 福井栄一様

 いまや猫も杓子も「年越し蕎麦」というが、「晦日(みそか)蕎麦」の古称の方が適切だろう。

 俗伝によれば、晦日蕎麦の淵源は、江戸期の商家の風習に求められる。商家にとって、毎月の晦日は繁忙日。使用人たちは食事もろくろく摂らぬまま、深夜まで働かされる。そこで主人から振舞われるのが、簡易メニューである蕎麦、すなわち晦日蕎麦である。

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 従って、本来、二月でも十月でも、とにかく晦日に皆で食べる蕎麦なら「晦日蕎麦」であった。しかし、一年で最も多忙なのは大晦日であるし、翌朝は晴れて正月であるから、大晦日の夜の蕎麦が特別視され、殊更に「晦日蕎麦」と呼ばれるようになったのだろう。それは単なる夜食ではなく、新年の福徳増進の祈願食と位置づけられた。

 それにつけても、多くの食品の中で、なぜ蕎麦が選ばれたのか。これには諸説ある。

 一般的なのは、蕎麦の形状にあやかったという説。新年の幸福が、蕎麦のように細く長く、途切れることなく続くよう、祈りながら食べる。

 もう少し凝った説は、金箔師と呼ばれる職人に由来するというもの。彼らは、一日の仕事が済むと、細工場に散らばった高価な金銀の粉を丁寧に集めるのだが、その際、蕎麦粉を練った塊を使う。そこで、大晦日に蕎麦を食べると、新年には手元に金銀が集まること必定なりと、人々は考えたらしい。

 どの説が妥当か断言は難しいが、これだけは確実に言える。晦日蕎麦の風習は、今も昔も、蕎麦業界にとって空前の特需である。しかも、その特需は毎年必ずめぐって来る。蕎麦で財貨を集めているのは、蕎麦を喰う我々ではなく、蕎麦を売っている業者なのだ。

 ちなみに、我々は蕎麦と聞くと、例の地味な灰褐色ばかり連想するが、タデ科の草本として地面に植わっている蕎麦を見ると、思わずはっとさせられる。茎の根元の赤色が目に飛び込んでくるからだ。その赤色については、以下の由来譚がある。

 

 冬の寒い日、麦と蕎麦の姉妹のところへ旅の老婆がやって来て、目の前の川の対岸まで、おぶって渡してくれと頼んだ。麦は即座に断ったが、蕎麦は老婆を背負って川へ入り、岸まで渡してやった。冷たい川の水に浸かったせいで、蕎麦の足(茎)は赤くなった。天から見ていた神様は、褒美として、蕎麦を夏の太陽を浴びながらすくすく育つ植物にしてやった。一方、不人情だった麦は、寒い冬に育ち、春には人間の足で踏みつけられるようにされたという。

 毎年、晦日蕎麦を啜りながら己の幸せしか祈ってこなかった人は、猛省すべし。新年を目前にして想いを致すべきは、寓話の蕎麦が身をもって示してくれた、他者への優しさや配慮である。

     
(完)