「アベノミクスの行方」講演録(2019/11/06)

会員の寄稿

『えびす神のこと』
上方文化評論家 福井栄一様

 「一月十日でもないのに、何がえびす神やねん」という声が聞こえてきそうなくらい、関西では今宮戎や西宮戎の「十日戎」が有名。 しかし、全国的には、旧暦十月二十日と正月二十日にえびす神を祀る地域が多い。

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 都市部、特に江戸の商家では、これらの日に祝宴を設け、親類縁者や知己を大勢招いた。宴席には、鯛や酒を供えたえびす像が据えられた。一同はその前で売り手・買い手の二手に分かれ、その場にあるちょっとした器物(酒盃、料理を盛った小鉢、懐中の手拭や煙草入れなど)に千両万両という途方もない値をつけて、売り買いの真似事をした。

 勿論、実際に売買するわけではない。今後の商売繁盛を祈念した、一種の予祝儀礼であった。また、この前夜の宵えびすには、えびす講の必需品(えびす神像、供物の塩鯛など)を売る「べったら市」が各地に立った。今日の日本橋べったら市(東京都中央区日本橋本町)、恵比寿べったら市(東京都渋谷区恵比寿西)などは、その系譜に繋がるものである。

 関西では、十月二十日の「誓文払い」がお馴染みである。京都四条京極の冠者殿社(八坂神社の摂社)に商人や花街の女性たちが参詣し、平素、客に対して(商売上やむなく)嘘をついている罪を懺悔して赦しを請う。そして、商家では、その罪滅ぼしも兼ねて、利益還元の大安売りを行うのである。(ただ、誓文払いで潰れた商家がないところをみると、出血大サービスと言いながら、それなりの利益はちゃっかり確保している模様。商売人根性とは、かくも凄まじい。)

 さて、都市部のえびす神のイメージが「七福神の一で、鯛を釣り上げ烏帽子を被り・・・」とほぼ一定しているのに対し、農漁村のえびす神の観念は多彩で、地域差・時代差も大きい。

 農村の場合、えびす神信仰は田の神信仰との混淆が見られる。小豆飯、二股大根、里芋などを供えて豊作を祈願する光景は、えびす講以外の祭礼の際にも、しばしば目に出来る。但し、生きた大小の鮒二尾を井戸へ放ち入れる東北地方の風習は、えびす講独特と言えるかも知れない。

 

 一方、漁村のえびす信仰もユニークである。地域によっては、特定の小像ではなく、(目隠しをした漁師が)海底から拾い上げてきた小石が、大漁祈願のえびす講のご神体とされる。つまりその小石が「えびす」と称されるのである。他に、浜へ寄せ来た鯨やイルカ、漂着した身元不明の水死体が「えびす」と呼ばれる例もある。

 思えば、上方でも坂東でも、都でも鄙でも、今も昔も、人間がえびす講で祈願するのは、決まって生業の隆盛である。口を開けば「儲けさせて下さい」しか言わない胴慾な私たち。そろそろ先方に見限られはしまいかと、そればかりが気になる。

        
(完)