第1回中之島プレミアムトーク 河西秀哉氏講演(抄録)

会員の寄稿

『帚木のこと』
上方文化評論家 福井栄一様

 昭和二十九年九月二十二日、廃棄物処理法が施行された。これに因み、九月二十二日は「清掃の日」と定められた。同日から十月一日までは「全国環境衛生週間」でもある。 掃除機が普及をみるまで、床掃除といえば帚(箒)(ほうき)で掃くほかなかった。「ほうき」とは、「ははき」の音便である。

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 ちなみに、園芸ファンならずとも、箒と聞いて思い出すのは、「帚木(ほうきぎ)」であろう。中国原産のアカザ科の一年草で、高さは約1メートル。実には利尿作用があるので「地膚子(じふし)」と呼ばれる漢方薬となり、硬くて細長い茎は乾燥させて草箒にする。

 さて、文藝の世界へ目を転じると、「帚木」は草から樹木、しかも怪異とも言うべき伝説的な樹木へ昇格(?)する。信濃国園原伏屋(ふせや)に生えるこの木は、樹形が帚に似るのでこの名があるのだが、不思議なことに、遠くからはっきりとその姿形が見えるのに、近づいてみると跡形もなく消えてしまうのだった。ここから転じて、「男女間で、情があるように見えて、その実、つれないこと」「姿を遠くから見ることは出来ても、間近には会えないこと」を譬える歌語となった。『古今和歌六帖』に収められた坂上是則(さかのうえのこれのり)の和歌「園原や 伏屋に生ふる 帚木の ありとてゆけど あはぬ君かな」は名高い。

 思うに、この歌なかりせば、『源氏物語』「帚木(ははきぎ)」という巻(名)は生まれなかったかも知れない。なにせ、光源氏と空蝉(うつせみ)の交わした和歌が二首とも、同歌を踏まえて詠まれているのだ。

 光源氏「帚木の心を知らで園原の道にあやなくまどひぬるかな」

 (あなたは、まるで信州園原の帚木のような御方ですね。遠くからはお姿が見えるのに、いざ近づいてみると、つれなくてお心が見えなくなってしまいます。私は道に行き迷ってしまうばかりです。)

 空蝉「数ならぬ伏屋に生ふる名の憂さにあるにもあらず消ゆる帚木」

 (みすぼらしい伏屋に暮らす、卑しい身分の私は、帚木のようにはかなく、いつ消えてしまうとも知れぬ女です。あなた様とは釣り合いません。)

 「そうは言うけど実在したの?」と思われる向きには、長野県阿智村伏屋へ足を運ばれるが宜しい。俚伝によれば、そこに佇む檜の巨木の残根(高さ約2メートル)こそ、かの帚木の変わり果てた姿なのだとか。ただ、実検の際、まちがっても今日流行りのロボット掃除機は持参せぬこと。仰天した樹霊に祟られるやも知れぬ。

(完)