第1回中之島プレミアムトーク 河西秀哉氏講演(抄録)

会員の寄稿

『六歌仙を語る』
上方文化評論家 福井栄一様

 六月の「六」にちなんで、今回は六歌仙について触れたい。

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 六歌仙とは、紀貫之が『古今和歌集』序文で批評した歌人たち、すなわち在原業平・小野小町・大友黒主・文屋(ふんや)康秀・喜撰法師・僧正遍昭(へんじょう)の六名を指す。

 順に、簡単な身上調査をしてみよう。

 在原業平は八二五年に阿保親王(平城天皇の皇子)の息子として生を享けた。兄は行平。八二六年には、兄弟揃って臣籍降下して在原姓を賜った。『伊勢物語』の主人公のモデルとも言われる。八八〇年死去。『古今和歌集』収録歌(以下、古今収録歌と略す)は「千早ふる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」。

 小野小町は生没年不詳。絶世の美女だったと伝わる。言い寄るあまたの男たちに心を許さなかったのは、意中に仁明天皇が居たからとも言われる。古今収録歌は「花の色はうつりにけりな徒にわがみよにふるながめせしまに」。

 大友黒主は生没年不詳。近江国滋賀郡大友郷出身か。黒主神社(滋賀県大津市南志賀)は黒主を主祭神として祀る。古今収録歌は「春雨のふるは涙か櫻花散るを惜しまぬ人しなければ」。

 文屋康秀は生没年不詳。下級官人だったらしい。小野小町と親交があったという。古今収録歌は「吹くからに秋の草木のしおるればむべ山風を嵐といふらん」。

 喜撰法師は生没年不詳。通常の食物を口にせず、不老不死の薬だけを摂って暮らし、ある日、雲に乗って飛び去り二度と戻って来なかったという伝説的な人物。古今収録歌は「わが庵は都の辰巳しかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり」。

 僧正遍昭は八一六年、大納言・良岑 安世(よしみねのやすよ)の八男として生まれる。俗名は宗貞(むねさだ)。仁明天皇の没後に出家。古今収録歌は「天津風雲の通ひ路吹き閉じよ乙女の姿しばしとどめむ」。

 ご覧の通り、教科書に載るような有名人ばかりなのに、その生涯には謎が多い。大半が生没年不詳で、喜撰法師のように実在を疑われている人物すら居る。

 ところで、何事にも例外がある。六歌仙についてもそうだ。というのも、六名の内、藤原定家の『小倉百人一首』の撰に洩れた者が居るのだ。大友黒主である。他の五名は前掲の和歌がいずれも百人一首にめでたく採録されている。

 理由は分からない。『古今和歌集』序文で紀貫之が記した辛辣な黒主評が効いたか。あるいは、黒主の美学が定家好みではなかったのか。思えば、能『草子洗小町』でも歌舞伎『積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)』等でも、登場する黒主は悪役である。百人一首から洩れてヤケを起こしたように見えなくもない。定家も罪なことをしたものだ。

 
(完)