中之島プレミアムトーク=2019年5月31日開催

会員の寄稿

『花は桜木というけれど』
上方文化評論家 福井栄一様

 萬葉集所収の約4500首のうち、植物を詠むのは約1700首。約160種もの植物が扱われています。詠歌の多い種類順に挙げますと、萩(約140首)、梅(約120首)、橘(約70首)、桜(約50首)・・・。桜が梅の半分以下というのが目をひきます。

 そういえば、奈良時代、紫宸殿の前庭の左近には(桜ではなく)梅、右近には橘が植えられていました。陰陽道の知見に従えば「陽=左=花、陰=右=実」ですから、当時は「花の代表格は梅、実の代表格は橘」と観念していたことが窺えます。

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 それ故、萬葉集所収の名歌として教科書によく引用されている「あをによし 寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の にほふがごとく いま盛りなり」(小野老)の解釈にも、少しばかり注意が必要です。つまり、同歌の「咲く花」を桜に限定してしまうのは問題。梅と桜の両方が咲き乱れる奈良の都を想起すべきでしょう。

 さて、梅樹にも当然、寿命があります。左近の梅が枯れますと、直ちに新しい梅樹が植え継がれました。こうして奈良時代が過ぎ、やがて桓武天皇によって平安遷都が断行されましたが、都が山城国へ遷っても、左近に植えられたのは、やはり梅でした。

 では、左近に(梅に替わって)桜が植えられるようになったのはいつごろでしょうか。精確に何年何月からと言い切るのは困難なのですが、おおよそ9世紀後半から10世紀半ごろとされています。その要因については、時代思潮の変化を反映した結果とも言われますが、よく分かりません。

 ともあれ、10世紀前半成立の古今和歌集には、桜の名歌が実にたくさん載っています。

 例えば、平安朝が誇るイケメン在原業平には、「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」があります。一般には、桜花への偏愛への反語的表現と解されていますが、歌意はそれに尽きるものではないでしょう。自分は政治的に不遇をかこつがゆえに、世俗に背を向け桜の風雅に耽溺するほかない。業平のそした自嘲が、桜花への愛とないまぜに歌われているのです。

 面白いのは、業平のみならず、古今和歌集の撰者・紀貫之にも、桜への八つ当たり乃至ないものねだりとしか思えぬ詠歌のあることです。「ことならば 咲かずやはあらぬ 桜花 見る我さへに しづ心なし」がそれです。大意は「どうせはかなく散ってしまうのなら、いっそのこと、最初から咲かなければよいのだ。それなのに、どうしたわけか美しく咲き乱れるものだから、いつ花が散ってしまうのかと、見ている私は気が気でない。」いじらしいほどの思い入れです。

 もしもあなたが桜花を詠むなら、どのようなアプローチで迫りますか。直球勝負? それとも業平や貫之流の変化球?

    
(完)