ナビゲーターで狂言師の茂山 千之丞さん(右)と最終回ゲストで演出家の山田 庄一さん

新編 上方風流

第23回(最終回) 狂言師 茂山 千之丞(35)×演出家 山田 庄一(93)(2019年3月4日夕刊掲載)

 1963年、上方芸能の若手による伝説的な同人誌「上方風流(ぶり)」が生まれた。呼びかけ人は演出家の山田庄一。その休刊からおよそ半世紀が経ち、「新編 上方風流」では、同人の祖父をもつ狂言師・茂山千之丞(せんのじょう)が様々なジャンルの担い手と語り合ってきた。最終回では、新旧上方風流の2人が上方芸能の未来を探る。

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茂山千之丞(千) この企画も、今回が最終回なんです。

山田庄一(山) もう2年になりますか。

 はい。前回、大村崑(こん)さんにお話をお聞きしたとき、「上方風流」の第1号がなんでこのメンバーになったのか、よく知らないって言わはったんですよね。なんや知らんけど入れてもうたって。

 要するにべーやん(桂米朝)と、まーちゃん(二世茂山千之丞)と僕と、3人で言い出したのよね。それまでにいろんなことやってましたからね。

 どんなことをされてたんですか?

 最初はまーちゃんと「しかみ」っちゅうガリ版を出してね。能楽界の悪口ばっかり書いて、匿名で出したのよ。同人言うてもみんな僕らの京大観世会の仲間。それにまーちゃんだけが入ってるのよね。

 へえー。

 で、全部無料で京都在住の各能楽師に送って(笑)。

 能楽師のうちに送ったんですか?!(笑)。

 そう、送りつける。それを何遍か出したんや。

 それ、誰が書いてんねやってならへんかったんですか。

 いや、じきにわかったらしい(笑)。

 それはまあ、山田先生ぐらいしかいいひんやろってことですよね、多分。

 それから次に「おせっ会」っちゅうのを始めたんや。能と歌舞伎の若手と、我々2人で、いろんなことを話して。

 そうか、それが前身みたいになってるわけですね。

 で、昭和38(1963)年かな。僕の家で、べーやんとまーちゃんと3人で飲んでて、そのうち僕が雑誌でも出したらどや、ということを言い出したの。ほんなら同人集めよってことになって、めいめいが知ってる人に声をかけたらこれが集まった。

 選ぶのに基準はあったんですか。

 一応、名前が売れてる人。そんで40歳以上はやめようという。

 で、第1号を出しはるというので、集まりみたいなのがあったんですよね。

 同人がこんだけ集まったんで、いっぺん初顔合わせをしようかと。べーやんのなじみの丸十って店でね。

 なかなか人がけえへんかったやつですね。

 みんな仕事ひまや言うても、何かやってるもんね。それ済んでからやから、まあ夜の10時済まんと来られませんわ。

 その会で初めて会うた、みたいな人同士も?

 ほとんど初めて。僕は崑ちゃんも初めてだし、寛ちゃん(藤山寛美〈かんび〉)も直接なじみがなかったからね。

 なんか読んでた感じやと、みなさん前からお互い知ってはったんかな、みたいな雰囲気もありましたけど。

 そんな感じになったのよ、集まったら。昔からのなじみのようなね。最初、崑ちゃんも固まってたけど、そのうちワイワイやり出して。で、「一体僕は何やったらよろしい?」って言うから、べーやんが「あんた、原稿書くんやんか」って言って(笑)。

 山田先生はもちろんですけど、いとこい師匠(夢路いとし、喜味こいし)が随分まめに書いてはりますね。

 あの人ら、まじめやったんや。

 逆にお名前はあるけど、全然載ってへん人もいますね。

 (花柳)有洸(ゆうこう)ちゃんなんて、自己紹介みたいなのだけやろ(笑)。あの人、早うに抜けたんですよ。それから(市川)雷蔵君も書いてない。

 第8号で終わってますけども、何か格別の事情があったんですか。

 国立劇場の開場で、僕が東京行ったんが一番の原因。

 ああ、まとめる人がいんようになって。

 それと、メンバーを増やしたでしょ。それがやっぱり失敗やったね。

 あんまり増えると収拾がつかへんみたいなことですよね。

 僕はもう東京行ってたから詳しい話は知らんけども、どうもそんな感じやね。

 先生は大学は医学部でしたっけ。台本を書くとかそういうことは、どこで出来るようにならはったんですか。

yama.jpg  僕はもともと文楽やら能やら好きやったから。歌舞伎なんて、乳飲んでるときから芝居小屋に行ってたんや。そやから、まあこんな仕事になるとは思わんけども、歌舞伎や文楽の方で昔の脚本とかを研究しようと思ってたの。

 もともとそっちをしようと思ってたんですね。

 うん。でも旧制の浪速高校へ行ってた頃、戦争が激しなってきて学徒動員が始まった。理系は卒業まで免除されるけど、文系は兵隊に取られると。

 医学部に行ったら、とりあえず在学中は大丈夫だと。

 そうそう。でも全っ然好きにならない。だから戦争が終わったら大学の講義はほったらかして、毎日まーちゃんとしゃべってた。戦争で抑えつけられたから、何かやりとうてしょうがなかったね。その仲間が千之丞君と米朝君。

 祖父は戦争の話はしたがらない人でした。後から見ると、狂言以外でもあらゆる表現活動を模索していたのは、戦争に行ってたことがあったのかなあと。

 戦争行ってたというより、戦争中を生きていたということでしょうね。発散ですな。でも、今の人は随分違うね。冒険がしたくないんじゃない? 安定してるから。

 自分からむちゃをしないというか、師匠の教え通りにという感じは受けますね。

 マニュアルがないとだめなんだよ。自分で考えて何かしようというのが欠けてる気がする。

 僕は祖父をずっと見てきたので。

 それやろ。話してて、歯がゆいん違う? 人によって。

 そうですねえ。正直言うと、もっとやらはったらええのになあって、それくらいのことしても誰にも怒られへんでっていうことでも、自分でやめはる。残念やなと思います。

 みんなそれぞれの才能を持ってはるのにね。

 一人やと出来ないんやったら、何人かで集まって、それこそ「上方風流」みたいに同人つくって、お互いの芸のためになるようなことをしてみたいなと思うんですけどね。

 忙しいんやろ、みんな。

 そうなんです、それがまた問題なんです。

 昔に比べて芸全体のエネルギーみたいなものが衰えていると思うね。だから現状を守っていくだけで精いっぱい違うかな。狂言は別かもしれんけど。茂山家はエネルギーがあふれてるから。

 歌舞伎とかも売れてる方の名前で派手に見えますけど、実情はどうなんでしょうね。

 昔の人は今ほど器用じゃなかったから、歌舞伎なら歌舞伎しか出来なかった。今の人はどこへいってもはまる。それが結局、今の人の弱さですね。

 そういう意味では、うちの祖父や先生の世代がその最初をつくったんでしょうか、何でもどこでも出だしたのは。

 功罪の罪が、いま現れている感じがするなあ。

 そういうものに巻き込まれないでいようとは思うんですけどね。だから、いつも同世代の仲間を募ろうという気概はあって。この企画でいろんな方に会わせていただいて、もっとお付き合いしたいなと思う方も何人かお会いできましたし。

 もちろん、何人かはいるでしょうね。

 それこそ山田先生と千之丞じゃないですけど、木ノ下歌舞伎の木ノ下裕一とは、京都のバーで2人で、上方芸能の現状に文句を言っているところから親しくなった。そういう人たちと一緒に、改革の出来る人たちがたくさんいる時代まで、その火をつないでおけたらなあと。

 というよりも、火を起こさないかんわ、いま。あんたが芯になって。

 それが一番いいですよね。起こせたら。

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狂言師・茂山千之丞(35)
   1983年生まれ。86年、本名の茂山童司(どうじ)で初舞台。2018年、三世茂山千之丞を襲名。自作の新作狂言を上演する「マリコウジ」、自作コントの公演「ヒャクマンベン」を主宰。
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演出家・山田庄一(93)
 1925年、大阪生まれ。幼少から上方の芸能に触れる。大学助教授、毎日新聞記者を経て、66年の国立劇場開場に伴い創立メンバーに。元同劇場理事。歌舞伎や文楽の演出多数。

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎