芸について語る、浪曲師・真山隼人さん(左)と狂言師・茂山童司さん

特集

茂山童司さん・真山隼人さん、上方芸能を語る
 ~「新編 上方風流」が舞台に登場~

 上方芸能の若手が対談する朝日新聞夕刊の人気コーナー『新編 上方風流(かみがたぶり)』。ナビゲーター役の茂山童司さんと2017年11月のゲストだった浪曲師の真山隼人さんが、3月16日、中之島会館(大阪市北区)の舞台に登場し、約200人の観客を前に、芸とトークを披露しました。

 この日の催しは、第1部が「関西スクエア賞表彰式」、第2部が「上方芸能イベント」で、お二人は第2部に出演しました。

 童司さんの演目は「鎌腹(かまばら)」。怖い妻と情けない夫が登場する狂言で、童司さんは主人公である夫を演じました。隼人さんの浪曲は、親子の情が泣ける怪談「円山応挙の幽霊図」。曲師・沢村さくらさんの三味線にあわせて迫力のある声を響かせました。

 トークは、朝日新聞生活文化部で古典芸能を担当する向井大輔記者が司会を務め、童司さんと隼人さんが、お互いの芸について疑問に思ったことを尋ねたり、会場から寄せられた質問に答えたりしました。



童司さん・隼人さん、芸を語る

司会 朝日新聞の夕刊で毎月第1月曜日に、『新編 上方風流(かみがたぶり)』というコーナーをこの1年間続けました。どういうきっかけかというと、半世紀以上前ですが、当時の20代から30代の、上方芸能の若手の方が集まって、これからの上方芸能をどうすればいいのかと話し合ったものが雑誌になりました。それが『上方風流』です。

 参加されているのは、文楽の竹本住太夫師匠、吉田簑助師匠、こちらにおられる茂山童司さんのおじいさまである狂言の千之丞さん、あるいは、桂米朝師匠、夢路いとし・喜味こいし師匠など、その世界を引っ張ってこられた皆さん。人間国宝になられた方もいて、今やレジェンドの雑誌です。

 これが50年、60年近くたって、その芸を継いでいる方はどうだろうかと思って調べてみると、ちょうど孫の世代が同じ20代から30代で、彼らが集まったときと同じ年代だということがわかったんです。それなら一度、いろいろな方と対談ができないかと思い、まっ先に浮かんだのが、『上方風流』の中心メンバーだった千之丞さんのお孫さんである茂山童司さんでした。そこで、童司さんにナビゲーター役をお願いして、20代から30代で活躍されている、これからも頑張っていく方々と、対談していただいて、それを紙面にしています。

 浪曲師の真山隼人さんは、去年の11月に登場していただいて、お二人で対談していただきました。今日は上方芸能の奥深さを知ってもらいたいと思い、お二人に出演をお願いしました。


声を飛ばすコツは?

司会 本日、お互いの芸を見られて、興味を持ったことはありますか。

隼人 僕がすごいなと思ったのは、よく声が通るなと。声を遠くへ飛ばすコツは?

pssigeyamabutai2.jpg 童司 狂言はお芝居なので、例えば、ぼそっとしゃべらないといけないセリフが、当然、出てくる。でも、本当にその声量でしゃべるとお客さんに聞こえない。だから、小さいころから、上の人たちがやるのを見て、実際に声は出ているんだけれども、ぼそっと言ったように聞こえる声質みたいなもの、そういうものを舞台をやりながら覚えていく。

 声を大きくするのは、小さいころから、なるべく大きな声で先生のまねをしてセリフを言えということで稽古をする。鴨川の対岸と対岸でセリフの稽古をするんだという、誰もしたことのない伝説があるんですよ。うそなんですが、そういう伝説があるぐらい、なるべく大きな声で稽古をする。

 狂言はもともと野外劇だったので、そうしなさいというのがあって、だんだん声が出るようになってくるという感じですね。

 真山さんに質問していいですか。完全に曲になって三味線と一緒に歌っていらっしゃる部分と、語りというかフリースタイルの感じのところがあるじゃないですか。自由にしゃべってはるような雰囲気のところでも、後ろで三味線の方が「ベンッ」とか「よっ」とか言ってはりますね。あの辺はどうなっているんですか。全部、決まっているんですか、それとも、ある程度は雰囲気なんですか。

隼人 初め、浪曲の世界に入ったときには「こういうふうにやるんだ」という、基本のやり方があるので、それでやるんですけれども、慣れてきたら、自分で「今から、ここで節にします。皆さん、どうぞ聞いてください、この節を、ツルツンッ」と。

童司 ほお。

隼人 ということで、ぱっと鳴る日もあれば、セリフで言う日もある。その日の気分という人もいれば、まじめな方やと「私は、ここは、こういう節にするの」と言うている方もいる。

童司 じゃあ、三味線の方はそれを聞いて、「おっ、変わった」と思ったら、それに合わせて弾く。

隼人 即座に、ぱっと合わせるという。

童司 すごいですね。

隼人 今、大阪に浪曲の三味線の方は4人しかいてないんです。ということは、1日に4人しか、浪曲師は仕事へ行けないということですよ。

童司 そうですね。4会場以上は無理ですね。

隼人 たまに1会場に3人ぐらい三味線の方がいてるときがあって、ほかの人は大丈夫なのかなと思うんですけどね。

童司 じゃあ、一つの会で浪曲の方は何人か変わるけれども、お三味線はずっと同じ方ということもあるんですか。

隼人 あります。なので、今日出ていた、さくら姉さんとかは、浪曲の寄席がありますと、3人まとめて弾く、4人まとめて弾くとか、そういうのがありますね。

童司 すごいですね。むしろ、そっちがボスみたいになっていますね。


この道、きっかけは?

司会 ご来場された方からもたくさん質問をいただきました。まず、「この道に進まれたきっかけを知りたい」ということですが。

psmayamabutai.jpg 隼人 小学校の4年生とか5年生のときに、ラジオで浪曲を聞いたんです。落語でもない、三味線の入った、おもしろい芸能があるんだなと思って興味を持ったんです。それで中学2年生のときに「俺は、この道へ行くんだ」と、なぜか思っちゃったんですね。そして中学校を卒業して、弟子入りをさせていただいたのがきっかけですね。

童司 だから、何で? シブすぎるでしょう、小学生で浪曲って。

隼人 何か、いいんですよ。風呂上がりに聞くのがちょうどいいんです。昔は、ラジオで9時半からやっていたんです。

童司 それこそ『上方風流』をやっていたころに生まれたほうがよかったですね。シブ過ぎる。すごいですね。

隼人 もうちょっと早く生まれたかったですね。

司会 童司さんは。

童司 僕は、今の代が14代目ですけれども、その家に生まれたからということですね。だから、僕は、気がついたらやっていました。初舞台が3歳になるちょっと手前ぐらいですね。


何とかするのがプロ

司会 続いての質問です。「舞台に上がって、頭がまっ白になったことはありますか」。

童司 たまにそういうこともありますが、そこを何とかするのがプロですね。わからないように、もそもそ言うてると「ああ、そうやった、そうやった」と出てくるわけです。そんな感じで、ちょっと忘れることぐらいはありますね。

隼人 忘れるきっかけがありまして、やっていて、「ちょっと先の、あのセリフは何やったっけ」とか、台本で言うたら10行先を考えてしまうと忘れやすいというのがあるみたいですね。

童司 僕は、気が散ると、というのはありますね。

司会 童司さんに「どうして、すり足で歩くのでしょうか」。

童司 いろんな説があるので、これが必ずしも正解ではないです。なので、一説として覚えておいてくださいね。能とか狂言の公演は、昔は外でやっていましたので、日の出ている時間にしかできないわけです。能は長いお芝居です。昔のオフィシャルプログラムである式楽(しきがく)では、能が5番あり、その合間に狂言があるんです。ということは、めっちゃ長いんです。日の出から日没までやっているんです。昔は今と違って休憩がないので、ずっとやっている。

 そうすると、見るほうも、いいかげん疲れてくるじゃないですか。人間の目が疲れるんです。人間の目は、横の動きよりも縦の動きに弱いんです。縦に目を動かすほうが、よけいに神経を使う。なので、ちょっとでも楽にお客さんに見てもらうためには、上下運動をなくせばいいんじゃないかということで、すり足にすると、頭とか肩、腰が上下に動かない。そうするために、すり足ができたという話もあります。本当か、うそかはわからないんですけど。

司会 隼人さんに「初めて浪曲を聞きました。歌うときは、譜面があって音符どおりに歌うのですか」という質問です。

隼人 音符がないので、口伝ですね。師匠方がやっているのを聞いて、自分なりに。

童司 書いたものはあるんですか。

隼人 音程とか、ないんです。台本は、字だけを書いてあるんです。基本のやり方というのは、師匠から「はい、やってごらん」で、やります。「何が何して何とやら」「こうだ」というやりとりはあるんですけれども、それにどうやって自分のキャラを乗せて、色づけていくかというのが浪曲の魅力につながる。


理不尽。だけど、だいご味

童司 師匠と違うことをやらんとあかん、みたいなことをおっしゃっていましたね。

隼人 そうなんです。なので、浪曲ほど理不尽な芸はないんです。ほかの芸やったら、師匠から受け継いだことをやる。

童司 それが基本ですね。だから伝統芸能という感じですね。

隼人 浪曲は、師匠のまねをしたらだめなんです。なので、例えば、師匠が『水戸黄門』のネタで売れていたら、同じように『水戸黄門』をやっちゃだめなんです。それだったら『勧進帳』をやれとか。師匠をいかに超えようとするか、師匠と違うキャラにいかに持っていくかというのが、浪曲師の課題というか、そこが古典芸能になりきれないところかなと、僕は思っているんです。

童司 人によって、全部、違うわけですからね。形とかテーマとか。

隼人 うちの祖が京山華千代という、文芸浪曲をやっていまして、チャプリンが「まいった!」と言うたんですよ。アメリカ巡業のときに、チャプリンが見たんです。

童司 へえ、すごい。

隼人 アメリカに1軒、東京に1軒、大阪に1軒、浪曲で家を持っていたんですね。

童司 へえ。

隼人 菊池寛の『父帰る』とか、ああいう文芸物をやっていたんです。その下の師匠は、それをなぞらえて大衆演劇ふうにやった。そのまた下、僕の師匠の真山一郎はオーケストラでやった。そして隼人は何かというと、また三味線の浪曲をやっていると。

童司 なるほど。

隼人 こういう、誰にもあてはまっていないというのが、浪曲のだいご味かなと。

童司 全部違うというのは、おもしろいですね。

司会 でも、芯みたいなものはつながっているんですね。

隼人 芯はつながっている、こうなるんだなというのはあります。

童司 それを見きわめられるようになったら、一人前のお客さんですね。

隼人 そうですね。何遍も見に来ていただきたいと思います。

(構成 八田智代)