関西スクエア会員で直木賞作家 門井慶喜氏講演 9月20日@ヒルトン大阪=写真は関西プレスクラブ提供

会員の寄稿

『初詣と狐』
上方文化評論家 福井栄一様

 日ごろ信心と縁の薄い人も、さすがに正月だけは、初詣と称して神社へ足を運ぶ。

 狭い日本の国土にひしめく神社の総数は、8万とも9万とも言われている。祭神別の社数トップ3を挙げると、第3位は天照大御神系(伊勢神宮系)で約1万8千社、第2位は八幡神系で約2万5千社、そして堂々の第1位は稲荷神系で約3万2千社である由。お正月に私たちが稲荷神系の神社へ足を運ぶ確率は、相当高いわけだ。

 稲荷神社といえば赤い鳥居がお馴染みだが、いまひとつ忘れてはいけないのは、社頭で私たちを出迎えてくれる狐の(石)像である。

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 では、なぜ狐なのか。これがなかなかの難問である。

 稲荷神は「稲を荷う」と書くように、元来は農業神・穀物神であり、神道ではこれを一名、御食津神(みけつかみ)という。

 俗説では、この「みけつかみ」が「三狐(津)神」と読み替えられ(誤解され?)て、狐が稲荷神の遣いと解されるようになったという。

 無論、田畑に現れる狐の一種神秘的な姿形、賢さ、稲穂に似た体色なども、神使のイメージの定着・強化に一役買ったことだろう。

 ちなみに、仏教の教説では、稲荷神の本地佛は荼枳尼天(だきにてん)であり、その尊像は、白狐の背に乗り稲束を荷った天女である。こうなると狐は、お遣わしめどころか、稲荷神と一心同体とさえ言える。

 さて、当初は穀物神として信仰された稲荷神だが、米作が国の経済の根幹を成していた日本社会にあって豊作は富貴と同義だったから、自ずと開運福徳の神、商業神としての性格をも獲得していった。東日本、とりわけ江戸での稲荷信仰はすさまじく、町々に大小の稲荷祠が林立していたため、江戸の名物は「伊勢屋、稲荷に犬の糞」と自嘲気味に語られたほどだった。武家屋敷や商家では、屋敷神として自邸内に勧請する場合も多かった。稲荷神もさぞかし忙しかったことだろう。

 ただ、こうして神狐として熱烈に信仰する一方で、人々は狐の神秘性、妖力への畏怖を忘れたわけではなかった。夜道を独りで歩いていて性悪な狐に化かされたという話は跡を絶たなかったし、「狐憑き」の事件がしばしば瓦版を賑わせた。

 憑いた狐を落とすのに、高僧や高名な山伏を呼べる余裕のある者は稀だった。症状が深刻で、「お妾(めかけ)に憑いて祠(ほこら)をねだりだし」などと笑ってはおられぬ場合、怪しい風聞を鵜呑みにして、病人に猛犬をけしかけたり、狼の糞をくすべて煙責めにしたりした。

 妖狐は死なず。神社の境内で狐像と目が合うたび、いまだ妙な胸騒ぎをおぼえるのは、私だけであろうか。

         
(完)