会員の寄稿

『菊花の身上調査』
上方文化評論家 福井栄一 様

 菊は、キク科キク属の多年草。呼称の語源には諸説ある。「香りが良いという意のカク(香薫)の転」、「たくさんの小花を締めくくったような花形なので、ククルの意」など。

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 中国から日本へ伝来したのは、奈良時代とされる。天平勝宝三年(七五一)成立の『懐風藻』には菊の漢詩が載るけれど、奈良時代末期成立の『萬葉集』に菊の詠歌は皆無である。ちなみに、菊の詠歌の初例は、『日本後紀』(承和七年(八四〇)成立)所収の桓武天皇の和歌ではないかと思われる。


 「この頃の しぐれの雨に 菊の花

 

 散りぞしぬべき あたらその香を」

(近頃の時雨のせいで、菊花が散ってしまうだろう。せっかくの香りが惜しまれる。)


 ところで、中国でも日本でも、晩秋に咲く花は少ない。けれども、菊はその晩秋に今を盛りと咲き乱れ、薫香を漂わせる。昔の人々は、そこに一種の霊性、高貴さを見出した。蘭・竹・梅と並んで「四君子」と呼ばれた所以である。中国での菊花の称揚は、すでに漢代には始まっていたとみられ、今日に至るまで、詩題・画題として欠かせぬ花となっている。

 菊の霊性への信仰は、旧暦九月九日「重陽の節供」の風習にも反映している。この日、人々は菊酒(菊の醸造酒。もしくは酒盃に菊の花弁を浮かべたもの)を呑み、菊の被綿(きせわた)で身をぬぐった。

 ちなみに、菊の被綿とは、九月八日夜に菊花へ綿を被せた綿のこと。翌朝、菊の芳香と朝露を吸った綿で我が身を拭くことで、除災・不老長寿を願った。以下は、その詠歌の例である。作者は平安末期の僧・信実(しんじつ)で『新撰和歌六帖(ろくじょう)』(鎌倉中期成立)に載る。


 「垣根なる 菊のきせわた 今朝見れば 

 まだき盛りの 花咲きにけり」


 無論、菊花信仰はこれにとどまらない。「菊の滋液で身を拭うだけでも効験がある。ならば、それを飲み干せば必ずや・・・」と人々が考えても不思議ではない。民衆の期待と願望は、河南省南陽甘谷の長寿伝説を生んだ。上流に咲き乱れる菊花の滋液が川へ流れ込むため、平素からその水を飲んで暮らす甘谷の者たちは皆、長寿に恵まれる・・・。

 こうした神秘性にあやかる心意からか、日本の朝廷でも早くから、菊花の宴が催されるようになった。皇室行事として定着したのは、弘仁年間(八一〇~八二四年)とされる。

 ちなみに、皇室の紋を菊花とする淵源は、後鳥羽上皇に求められるというから、意外に新しい。桜と並び、日本の国花と呼ばれる菊。パスポートの表紙にも咲き誇るこの花の文化史に、ますます興味が尽きない。

(完)