ナビゲーターで狂言師の茂山 童司さん(右)と第19回ゲストで講談師の旭堂 南青さん

新編 上方風流

第19回 狂言師 茂山童司(35)×講談師 旭堂南青(38)(2018年11月5日夕刊掲載)

狂言師の茂山童司をナビゲーターに上方芸能のありようを見つめる「新編 上方風流(ぶり)」。今回は、張り扇で釈台をたたき調子をつけて物語を語る講談の世界へ。近く「旭堂南龍(きょくどう・なんりゅう)」を襲名する講談師の旭堂南青(なんせい)に、一度は滅びかけた上方講談への思いを聞いた。

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茂山童司(童) 講談界からは初めてのご登場です。早速ですが、今度襲名なさるそうで。

旭堂南青(南) 童司さんも、襲名しはるんですよね。

 12月に、「千之丞」という祖父の名前を。

 何代目になるんですか。

 僕は三代目ですが、「南龍」さんは?

 明治時代に大阪の堂島に講釈場があって、そこの席亭だったと思われる「藤井南龍」という人が当時の番付に載ってるんですよ。大火や戦争で焼けて資料が残ってないんですが、「旭堂南龍」というのは初代ですね。

 いずれ「南龍」になるという自覚はあったんですか。

 まさかなるとは思ってなかったです。23歳の時、同じ近畿大「落語講談研究会」出身の師匠・旭堂南左衛門(なんざえもん)に弟子入りして、「青雲の志を持つ講釈師となれ」と「南青」とつけていただきました。その時、師匠が「『四神』の一つに青龍があって、夢やけども、青から龍に化けてほしいという思いはある」とは言うてはりました。

 へええ。

 先輩から言われるんですが、名前っていろんな人の思いが込められていて、ええ加減にしたら名前に滅ぼされてしまうし、努力したら力になってくれるって。大師匠の三代目旭堂南陵(なんりょう)も「我々の世界は下りのエスカレーターを上っていくようなもんや。普通に頑張ってもそのまま、もっと頑張ってようやっと上っていくことができる」と。上方の講談は一度滅びかけたので。

 ほう。最盛期には講釈場は大阪に多かったんですか。

 けつまずくほどあったそうです。「やることなかったら講釈場でもやったら」というくらい隆盛を誇っていたと。

 それが滅びかけたのは?

 戦後、あだ討ちものや忠君愛国ものはだめ、と。軍談戦記ものは「先の大戦を思い起こすから」と、どんどん追い込まれて、講談師がいなくなった。

 芸そのもののせいじゃないのに。不遇だったんですね。

 昭和40年代の初めに残ったのが三代目南陵ただ一人。「もはや上方講談は滅んだ」と言われたのを三代目南陵が頑張って、そこにうちの師匠らが入っていったんです。

 上方の講談師は今、何人いらっしゃるんですか。

 三つある協会に36人。

 36倍になったんですね。

 先輩方、師匠方の努力やと思います。注目を浴びるような話題を作らないかんと、目を引くような講談会をしたり。今回の襲名もそうでしょうね。

 襲名で何か変わります?

 あくまでも肩書的なもので、僕自身はたぶん変わらないです。やっていくことは変わるかもしれませんけど。

 そうですよね、僕も特に変わらないですもん。襲名披露では大ネタをやるんですが、どっちかと言ったら、名前が変わるというより「それをやらなあかん」みたいな感じです。そもそも襲名披露という制度が狂言にはなかったんですよ。

 え? しきたりがない?

 襲名してお披露目するのは、歌舞伎とか落語とか講談とか、江戸時代以降の芸能のやり方なので。

 あ、そうか。能、狂言の世界はもっと古いから。

 明治までは能、狂言は武士だったんです。代々継ぐ名前がある場合、お殿様が「そろそろかな」と言ったら、「ありがとうございます」と。襲名披露もないわけなんです。

 へえ、あっさりしてるんですね。口上とかもない?

 ないんですよ。舞台に出てくる時は必ず何かの役に入ってるから。口上っぽいものをしたらと言われてますけど、このままだと狂言をやるだけで、僕はお客さんに何もしゃべらないことになりますね。

 それは楽でいい(笑)。

 今まで拝見した講談は全部江戸の方なんです。神田松之丞(まつのじょう)さんとか。

nansei-main.jpg  僕、松之丞さんと同じ誕生日です。年は僕が三つ上ですが。

 すごい偶然ですね。

 同じ誕生日で、東西でこうも違うかっていうくらい、すごく売れはった。でも、それで講談が世に知られるようになって、ようやっていただいたという思いなんです。狂うぐらいの嫉妬はしてますけど。

 そう素直に言わはる人、珍しいです(笑)。

 ほんまですか。でも、これを機会に「大阪も面白いやんか」と言われるような支度を、僕らがちゃんとしてきたかどうかが問われると思うんです。

 上方と東京の講談って、どう違うんですか。

 東京は硬派で、張り扇を多用して聴かせる「筋(すじ)講釈」と言われます。上方は「芸講釈」。より立体的に演じるのに重きを置いています。

 より登場人物になりきるような感じですか。

 そうですね。デフォルメした表現を多用して、落語や漫才が人気があるので笑いも入れながら柔らかく。軍談戦記ものから世話ものまで数が多い。そもそも、えたいのしれないままネタを渡されることがあります。

 と、いいますと?

 三代目南陵のネタ帳があるんです。ノートに「マル秘」って書いて。

 あるんだ、実際。「マル秘」っていう本が。

 そのノートをもとに、大師匠がテープに吹き込んでネタを残したんですが、時折本人も何が書いてるか分からないくらい字が......。料理でいうたら「何の食べ物?」みたいな材料を渡されて、レシピを自分たちで考えなあかんようなところがあります。

 う~ん、大変だ。

 上方が1人の時、東京には23人いて、研ぎ澄まされた講談を受け継いでいったんです。松之丞さんとかは漉(こ)しに漉(こ)されたネタを渡されて、自分の感性でさらに面白くしてやってはる。土壌が全く違いますので、東京が売れて当然なんです。ただ、僕も東京にはない形、負けない上方講談はできるっていう思いはあります。

 ネタは自分で作ったりもされるんですか。

 作りますね。近大出身なので「近大マグロ物語」とか。僕はかっこいい講談がしたいんです。師匠にも「二枚目の講談をしなさい」と言われますが、笑いがなくても聞きほれてしまう品のある講談を、ね。

 そういうことができる人も必要ですもんね。

 東京のように、僕が80、90歳になった時に20、30代の若手に洗練されたネタを残したい。そして大阪の一等地に講釈場を立てる! 死ぬまでに、なんで、だいぶ猶予はあるんですけど。

 大丈夫だと思います。

 今、母校の中学校でも講談を聴く授業をやってるんです。若い世代が「講談おもろい」ってなるよう、種をまいている状況です。

 どの芸能もしていかないといけないですよね。昔と比べて子どもらの興味を引くものが格段に増えているし。小さい時にちょっとでも面白かったと思ってもらうことって大事です。

 僕らの使命でしょうね。

 それにしても三代目南陵さんが1人でよう持ちこたえてくれはりましたね。なくなる時は本当に早いですから。

 そうですね。僕も若い人に「人として生きる」ということを講談を通じて教えたい。神田松之丞に嫉妬しながら、ね。

 そこに戻るんですね(笑)。僕らもよく、野村萬斎(まんさい)さんとかと仲悪いんですかって聞かれますが、一緒に舞台もやりますし、楽屋で普通にしゃべります。同じジャンルでいがみ合っている場合やないですから。

 そう。松之丞さんをきっかけに若い人が来てくれる。その時、負けたらあかんのです。

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狂言師・茂山童司(35)
1983年生まれ。祖父の二世茂山千之丞(せんのじょう)、父の茂山あきらに師事。86年に初舞台。
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講談師・旭堂南青(38)
1980年生まれ。近畿大を卒業後、2004年に旭堂南左衛門に入門。上方講談協会所属。

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎