ナビゲーターで狂言師の茂山 童司さん(右)と第18回ゲストでOSK日本歌劇団の楊琳さん

新編 上方風流

第18回 狂言師 茂山童司(35)×OSK日本歌劇団 楊琳(2018年10月1日夕刊掲載)

 

狂言師の茂山童司が、上方芸能の担い手とジャンルを超えて語り合う「新編 上方風流(ぶり)」。18回目はOSK日本歌劇団の若手エース、楊琳(やん・りん)を招いた。1922年に松竹楽劇部として始まった歌劇団は、親会社の支援打ち切り、解散、事業譲渡など数々の危機をくぐり抜け、2022年に100周年を迎える。

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茂山童司(童)  幼い頃から、ダンスとか歌とか一直線な感じだったんですか。

楊琳(楊)  まったく。最初は画家になりたくて絵の道に行こうと思ってたんですけど、中2のときかな、BSで宝塚を見て。歌劇って、お化粧とかで違和感をもつ方も多いと思うんですけど、私も最初はそうだったんです。それが何回も見るうちにはまって。ここに入りたいと思うようになりました。

 横浜でOSKをごらんになる機会って?

 なかったです。私、歌劇に憧れて受験用のスクールに行ってたんですよ。そこのOGにOSKの方がいて。その方が勧めて下さったので大阪松竹座に見にいって、ここなら夢が追えると思ったので入りました。

 お入りになったのはいつですか。

 2005年かな。その時はまだ「存続の会」ですけど。

 02年に近鉄の支援が打ち切りとなって、03年に解散と。変化の多い時期ですよね。

 そうですね。会社がすごく不安定な時代で、やはり両親の協力なくては暮らせなかったです。

 いま劇団員の方って何人いらっしゃるんですか。

 50名です。

 DVDを見ても、みなさん次々と衣装変えて出て来られるから、総勢何人いらっしゃるのか全然わからなくって。

 人数がそんな多くないので、早替わりも一つの名物なんです。1分弱で着替えて。最後、舞台に並んだときに「こんだけしかいなかったの?」ってよく言われます。

 あんだけのダンスを覚えんのも大変そうやなって。感想が完全に素人ですけど(笑)。

 OSKはダンスが売りで、多いときは23曲踊ったこともあるんですけど、そのときは死ぬかと思いました。私が下級生のときは男役が本当に少なかったので、出ずっぱりが普通で。大変でした。

 珍しくご本名で活動されてますよね。それは理由が?

yan-mainjpg.jpg  自分の名前がすごく好きで、他の名前が浮かんでこなかったんですよね。

 え? 芸名って自分でつけるんですか?

 はい。提出してOKをもらわないといけないですけど。

 「名前付け部」みたい部署があるんだと思ってました。

 使っちゃいけない漢字がすごい多くて、わかんなくなるんですよ。だから私は適当にネットで検索して。一番よかった案が「真鰯(まいわし)つみれ」です。

 真鰯! それ、深夜になると変なテンションになっちゃうときのやつですよね(笑)。

 あ、そんな感じです! でも却下されて、もう本名でいいよって。本当に本名でよかったです(笑)。

 男役か娘役か、どうやって決まるんですか。

 けっこう自分で選べるんですけど、あまりにも身長が低いと男役は難しいっていうのはありますね。やっぱ背が高くないと格好良くないので。

 おいくつあるんですか?

 私、167センチしかないんですよ。舞台上では7センチヒール履いてるから、174かな。

 7センチ......。よく踊れますね。すごいなあ。

 もう慣れです。最初は脚をくじいたりもしましたけど、ねんざはケガじゃないので。

 すごい。どんな話や。もう日常茶飯事ってことですね。

 お芝居のメソッド(方法論)が独特ですよね。

 確かに。みんなこういう世界に憧れて入るから、多少なりとも見ているし、自然とそうなっていくんでしょうね。

 へえー。男になりきる特別な指導法があるわけではないんですね。「ステップ1 男の歩き方」みたいなのがあるんだと思ってました。

 そういう感じではないですけど、上級生から「こうすると男っぽく見えるよ」とか、教えてもらいます。歩き方と走り方はすごく見てもらいますね。黒燕尾(えんび)を着たときは、こうやって歩くときれいだよって。

 演出家というより、やってる人からの継承なんですね。

 あまりに普通だと素の女性らしさが出てしまうので、ちょっとデフォルメしないといけない所もあります。あと、歌劇はきれいじゃないといけない。美しさを求めると、動作一つ一つがダンス的になるのかなって思います。

 ずっとやってこられて、何か変化はあるんですか?

 いま12年目ですけど、やっと色んなところで男っぽさが染み付いてきたかなって。私、地声が高いので、なかなか低い声が出なかったんですよ。年数を重ねるごとにコツを覚えて、表現の幅が広がった感じがします。自由が利くというか。

 どのジャンルでも、そういう風になるには、それなりの年数がかかるってことですね。僕、歌舞伎見ても文楽見ても同じ感想なんですけど、出てらっしゃる方やスタッフが多くて制作期間が長いものを見ると、すごいなって思います。狂言は4人とかで出来ちゃうんで。

 そうなんですか?

 音響、照明、舞台美術がいらないので、舞台さんという人がいないんです。

 ええー! 衣装はご自身でお持ちなんですか?

 衣装は本家の蔵で一括管理されてて、公演に必要なヤツを自分でかばんに詰めて持ってくって感じですね。全部役者が管理するので、衣装さんもいない。たまに普通のお芝居に出ると、衣装を毎日楽屋につってくれて、洗ってくれる人がいて。なんて貴族みたいな生活だろうって思います。

 私たちは全部、自分たちでやるんですよ。自分の体に合わせたりとか、早く着替えるための工夫もするんです。ここはボタンよりもマジックテープにした方が早く着替えられるっていうなら、自分たちで縫って。

 なんせ制限時間が短いですもんね。OSKは今年で96周年ですか。

 はい。100周年が間近に迫っております。

 そこに向かって、だんだんと盛り上がっていって。

 そうですね。OSKは解散の危機もあったので、よく「雑草魂」って言われるんですよ。先輩からも、諦めないとか、根性とか、気合って、よく言われるので。

 すごい。うちの家よりはるかに気合が入ってる(笑)。

 歌劇は宝塚さんもありますし、じゃあ私たちは何を売りにしていくんだっていったら、生きる力であったり、パワーであったり。見た方が「元気が出た」「明日も仕事がんばれるよ」と言ってくださる、そういうのだと思うんですよね。

 それはやっぱり、生で見るものの強みですよね。実際に会えて、同じ空間を共有できるから与えられるものってありますもんね。

 去年の公演で、面白い忘れ物があって。車いすで来られた方が、車いすを忘れて帰っちゃったんです。歩いて帰れるようになっちゃったんですって。

 おお、すごい!

 見に来てくれた方々にパワーを与えられる、そういう意味でのパワースポットになったらいいなって思います。

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狂言師・茂山童司(35)
1983年生まれ。祖父は二世茂山千之丞、父は茂山あきら。初舞台は86年。新作狂言会「マリコウジ」やコント公演「ヒャクマンベン」を主宰。12月23日に三世茂山千之丞を襲名する。
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OSK 楊琳
横浜市出身。2007年、大阪松竹座「春のおどり」で初舞台。12月21~27日、大阪・近鉄アート館で「円卓の騎士」に主演する。

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎