ナビゲーターで狂言師の茂山 童司さん(右)と第17回のゲストで能楽師の有松 遼一さん

新編 上方風流

第17回 狂言師 茂山 童司(35)×能楽師 有松 遼一(36)(2018年9月3日夕刊掲載)

 狂言師の茂山童司がナビゲーターをつとめる対談企画「新編 上方風流(ぶり)」。17回目は、能楽ワキ方の有松遼一を招いた。シテ(主役)と三役(ワキ方、囃子〈はやし〉方、狂言方)によってつくられる能のだいご味や、シテを支えるワキが担う役割について語り合った。

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茂山童司(童) 大学の時、能楽サークルに入っていたとか。

有松遼一(有) そうです。そのサークルが縁で(ワキ方の)谷田宗二朗先生の指導が始まって、大学院修士の1回生の時に弟子になりました。先生と出会わへんかったら僕、能を仕事にしてなかったと思います。

ワキって能の後半、ずっと座ってはりますよね。

そうです。最初に出てきて、私は誰々で時代はなんとかで、これからこんなことをしようと思う、という舞台設定をするのがワキですね。で、シテが出てきて会話を引き出したら、あとはひたすら座り続けます。言うたら舞台の見え方って、最初は引きのアングルなんですよね。それがだんだんシテの心にクローズアップしていく。ワキは舞台の空間的、時間的な流れを邪魔しないように、そっと寄り添うことが大事なんです。

せっかくだから聞きたいんですけど、座ってる間って、何を考えてるんですか。

 舞台と気持ちを同期してるかな。その舞台のノリ、流れ、波長に乗っかれるとわりとすっと座れるんですけど、気になることがあったりとか、雑念が入ると、「足痛いな」「あと何分かな」とか考えてしまって、舞台に入り込めていない感じがしますね。

 携帯切ってないお客さんとか。

 やっぱり人間ですから、お客さんが心を寄せてくれている時の方が、力以上のものが表れるような気がしますね。

 ほんまにそうですね。

 能って歌舞伎、文楽、日本舞踊、宝塚のように木戸銭をとってショーを見せるというより、みんなで心をちょっとずつ寄せ合って、そこで何かが立ち現れるというものだと思うんです。

 ある意味、現代アートに通じる感じはしますね。作家が「こういうことってあるよね」というのを出して、どう読み取るかは見る人の自由。作家本人に聞いても「別にどう見てほしいとかないです」と。

 うんうん。

 楽しいものを見ようと思うから、難しいとか眠いとかになるんじゃないですかね。楽しいと思う方はそれでいいですけど、何かよく分からないものを見るという態度。これはすごい好き嫌いの分かれる態度やと思うんですが。僕も現代アートが好きで、芸術祭とか行くんですけど、いろんな人がわけ分からんインスタレーションをニコニコしながら見てるんですよね。それに近いものがあるんじゃないないかな。

 外国に行くみたいな感じかな。

 全くわからない言語の歌を聴いても、すごい感動することってあるじゃないですか。ああいうノリがいいのかな。感動すればよし、しなくてもそういうもんだから、みたいな。

 外国の人は言葉がわからへんでも、掛け値なしに見はるんですよね。日本人はわかるはずやっていうのが、かえってプレッシャーになって、純粋に楽しめなくなっちゃう。

 聞き取ろうとしちゃうみたいなね。

arimatu93.jpg 現代劇や推理小説みたいに、次どうなるかっていうことを楽しむよりも、印象派の絵を見るみたいに、キャッチ出来た言葉の色の重なりから立ち現れてくる光みたいなのを楽しむのでも、十分ええと思うんです。全体を通して完成度が高かったっていう楽しみ方もあるとは思うけど、たとえばたった一つの動きで「今日の能すごくよかった」っていうのもいいと思う。

 そういうのが見られたら、絶対記憶に残りますよね。

 いま生まれる現代アートに立ち会う感動ももちろんあるんですけど、古典って何百年も前の人と同じものを見てる、連なってるっていうのが、すてきやと思うんですよね。

 谷田先生はもともと狂言師やって、ワキ方にならはったんですよね。

 だから、間(あい)狂言との掛け合いが面白いって言うお客さんが多かった。狂言方が何を言うかわかってるので、間(ま)を心得てはるんだと思うんです。

お能ではしばしば、役者同士が何言うかわかんない状態で舞台に立ちますもんね。たまに自分の家の台本と、ワキのおうちの台本が全然違う場合があります。人や場所の名前が違うとか、質問がかみ合っていないみたいなのも、当日楽屋に行って発覚したりして。

 それは明治時代以降、いろんな流儀と相手できるようになったから起こった現象ですよね。化学反応が面白くもあり、「格好ええから、そっちに流れよう」となる怖さもあります。

 (四世)千作や千之丞はわりと和泉流から拝借してましたけど、「これは元々うちはないねんで」って言いながらやってましたね。「それはわかってやらなあかん」って。

 千作先生と千之丞先生は、やっぱり基礎の部分が鋼のように強いから、少々誰に何言われようが自由にできたと思うんです。

 ねえ。あれはもう勝てないですね。それこそ型の持つ強みみたいな。千作や千之丞は365日稽古してたって言ってましたからね。

 新しいことをやるほど、跳ね返ってきますよね。伝統って革新と継承って言うけども、変えていいところと、ここは歴史的な流れがあるから絶対変えたらあかんっていうところと、やっぱりあると思います。

 それって、一人ひとりも違いますよね。より守っていこうっていう人もいれば、この辺まで変えていいんじゃないっていう人もいる。一世代にいろんなバリエーションの人がいればいいと思います。結果的にどれが残るかは、時代が決めるだろうし。いままでもそのくり返しだったと思うんですよね。

 時代に対する信頼ですね。

 最近、大蔵流の五家が集まって若手でしゃべるんですけど、少なくとも大蔵流は統一はしないということをカラーにしようと。

 多様性は大事ですよね。ワキ方は三流儀あって、高安流と福王流と下掛宝生(しもがかりほうしょう)流と。元々五つあって二つは絶えてしまったんですけど、お互いの流儀を見て発見もあるし、全部統一しちゃったら考えることさえ出来なかった。多様性はむしろ、生存的戦略として長じていると思います。

上から言うわけじゃないですけど、ワキ方もよく増えたなって。シテ方がやれない特殊な職業ですし。

いま、京都在住のワキ方は7人です。僕は肩書は何ですかと聞かれたとき、やっぱり能楽師やなと思うんです。シテ方は人によったら「能役者」という人もいますけど、ワキ方がそう言うのは何かちゃうなと。芸術家というより職人ぽいところがないと、うまくいかない気がします。

いろんなシテと、その都度合わせていかないといけないですもんね。

いつも直球なら受けられますというキャッチャーはあきませんね。フォークボールでも何でも受け取れるように、引き出しをいっぱい作っておかないと。この間、大阪松竹座で「勧進帳」を見たんです。松本幸四郎さんの弁慶が獅子奮迅の働きをするんやけど、片岡仁左衛門さんの富樫がそれを支えてて、あ、これはワキやなって。ワキってシテより目立ったらあかんけど、縁の下の力持ちとしてちゃんと仕事もせなあかん。その案配が難しいんです。

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狂言師・茂山童司(35)
1983年生まれ。祖父は二世茂山千之丞、父は茂山あきら。初舞台は86年。新作狂言会「マリコウジ」やコント公演「ヒャクマンベン」を主宰。12月に三世茂山千之丞を襲名する。
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能楽師・有松遼一(36)
ワキ方高安流。1982年東京都生まれ。2007年にワキ方谷田宗二朗に入門し、初舞台。京都大大学院博士課程(国文学)研究指導認定退学。同志社女子大の嘱託講師でもある。

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎