新編 上方風流(番外編)=6月4日夕刊掲載

新編 上方風流

新編 上方風流(番外編) 京都の狂言三大名跡 8年ぶりにそろう(2018年6月4日掲載)

 「新編 上方風流(ぶり)」のナビゲーター、狂言師の茂山童司が12月に祖父茂山千之丞(せんのじょう)の名を継ぐ。同じ大蔵流の茂山千五郎、茂山忠三郎が一足先に襲名しており、京都の狂言の三大名跡が8年ぶりにそろうことになる。番外編の今回は、名や芸を受け継ぐことについて3人が語り合った。

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 茂山童司(童) いつ襲名するか、どう決めました?

 茂山千五郎(千) 千五郎家ではみんなが45歳前後で襲名しているけど、おやじ(千作)の病気が一番のきっかけやね。脳梗塞(こうそく)やったし、どこまで戻ってくるかわからんかったから。もう、ここやなっていう。

 茂山忠三郎(忠) 僕は父(四世忠三郎)の七回忌か十三回忌と決めていたので。家元(二十五世宗家、大蔵彌右衛門)とかと相談して、七回忌でやれば、というお声をいただいて。童ちゃんは?

 童 自分でもよく分からないけど、お二人が襲名しはったのはあると思います。一通りほかの人が先に終わって、周りから言われるじゃないですか。言われる方も花粉症みたいな感じで蓄積していったのか、ある日あふれて、じゃあなろかという感じでした。

――襲名で変わったことは?

sen-main.jpg  千 やっぱり周りは「千五郎さんの舞台が千五郎家の狂言」みたいに見はるから。ヘタ打てへんかな、昔ほど。

 忠 舞台の上で遊べなくなりましたよね。

 千 あ、それはない。だって上2人(十二世千五郎、千作)、千五郎時代にむちゃくちゃしてきてるから。ただ、その遊びの質を良くせんとね。

 忠 僕は下手に変えられなくなったなと。良暢(よしのぶ)(を名乗っていた)時代にはいろんな引き出しを開けて、小さいのから大きいのまで技を出して、どれが自分にとってすんなりくるか探していた。それができなくなったように思う。

 童 名前を変えたことで芸が固まったみたいな?

tyu-hidari.jpg  忠 逆に芸が固まったから襲名したという感じかな。

 千 偉いな。僕は何が千五郎の狂言なんだというのは、正直なところよう分からへん。歴代3人の千五郎ですら違うから。基礎的な部分は当然しっかりしてるけど、肉づけって人によって違う。うちは周りにいろんな見本がいるし、まだいいとこ取りをしてる感じ。

 忠 まだ試してはります?

 千 むっちゃ試してるよ。ベースはある程度出来上がってると思うけど、ずっと試していくかな。

 忠 童ちゃんはどう考える?

 童 前の千作(十二世千五郎)、千之丞は特殊技能の人たちだったと思うから、あの2人の役割を(同世代の)5人(千五郎、宗彦、茂、逸平、童司)で受け継ぐぐらいの気持ちなんですよね。僕は千之丞の精神性、生き方の部分を継いでいきたいな、と。ここまではやっていいというラインをちょっとずつ破り続けることで、許容度が上がっていけばいいかなという感じですね。

 忠 うちはどうあがいても当主1人っていうジレンマを抱えた家なんでね。

kannkeizu.jpg  童 代々そうなんですか。

 忠 そう。三、四、五代目はおじいさんの顔を知らない。なので六代目を継がせたときに、僕がおじいちゃんとしていられたらなって思ってますけど。

 童 常に1対1のおうちと、わらわらといる家とだったら、芸の伝わり方も違うような気がしますよね。うちはいろんな雑多なもんが入ってる感じ。

 千 入ってるよ。こないだも「呼声(よびこえ)」の最後で紛糾してさ。扇子を持ちかえるか、持ちかえないかとか。そんなんいっぱいある。

 忠 1人だと、違うものが入ってしまったら、それを戻しようがなくなってしまう。

 童 議論する相手がいないですもんね。

 忠 そうそう。習ってない曲もあるけど、そこはいろんな人の良いところをもらってオリジナルで作ろうかなと。きっとおやじもそうしてたはずやねん。20代で先代を亡くしてるから。襲名(披露)の会で何をするの?

 童 「花子(はなご)」します。初めてです。

※狂言「花子」とは

 京の洛外に住む男(シテ=主役)は、妻に隠れてなじみの遊女に会うため、太郎冠者にアリバイ作りを頼む。夢見心地で朝帰りした男は、太郎冠者に聞かせるつもりで、前夜の一部始終を語り続けるが......。後半は小歌を多用し、シテの独演のようになる。極重習(ごくおもならい)と呼ばれ、最も重要とされる演目の一つ。


 忠 稽古は誰につけてもらうの?

 童 いっぱい出稽古します。いろんな人にお稽古してもらって、良いところを取りつつという感じですかね。

 忠 僕は初演の時はまだおやじが生きていて。おやじに教えてもらってやりましたね。

 千 「花子」のメインは後半の謡。でも前半のセリフはめちゃくちゃ多いし、女房のやりとりのテンションと太郎冠者とのテンションは変えなあかんし。そこが案外大変、というか面白い。

 忠 僕はいつも通りの狂言のテンションでやらんと、曲に負けてしまうと思った。自分のテンションを重くしてしまうと、曲自体が重いからどんどん泥沼にはまっていくというか。

 童 千之丞が晩年はそれこそ軽くやってはる。意図的に変えて。千之丞が稽古つけてくれるとしたら、何て言うんやろな。

 千 すごいやりようが多い狂言やから、ドラマの作り方も考えてやったら面白いと思う。

 忠 帰ってきた瞬間の物思いにふける、ふけり方とか。そういうのを自分なりに演出したら、ほんまに「花子」はみんな全然ちがうものになると思う。

 童 (襲名披露公演は)番組数が多いんですよ。それで最後が「花子」なんで、お客さんはだいぶ疲れていると思うんですよね。

 千 それまでに3時間かかるからな。

 童 もういいかな、みたいなテンションになってはると思う。

 忠 いやいや。それをメインで見に来はんのやから(笑)。

――めざす狂言のあり方は?

 千 見せ方ってワンパターンじゃないと思うんですよね。能の会でちゃんとした狂言もするし、襲名みたいながっつりの時もあれば、遊んでいる舞台もあるし、学校に見せにいく舞台もあるし。どれかに偏るんじゃなくて、全部ちゃんとしていきたいなっていうのが、僕の中でのイメージ。守りつつ、攻めつつ、遊びつつ。

 童 うちの家訓「お豆腐狂言」そのままな感じですね。

 忠 忠三郎家としては「細く長くそば近く」って言うのが家訓なので。その家訓を守れるような芸をしていければなと思っています。

 童 僕はお二人と違って立場が身軽なので、「倒れる時は前のめり」ですね。ちょっと怒られるまでやるっていう。あとの責任は押しつけて(笑)。メインストリームの狂言にはなりません。皆さんの出来ることは僕は出来ないし、やらないですっていう感じですかね。

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狂言師 茂山童司(しげやま・どうじ)(35)
 1983年生まれ。祖父は二世茂山千之丞、父は茂山あきら。初舞台は86年。新作狂言の会「マリコウジ」やコント公演「ヒャクマンベン」を作・演出。茂山千五郎家。
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狂言師 茂山千五郎(しげやま・せんごろう)(46)
 茂山千作の長男として、1972年に生まれる。76年に初舞台。2016年9月に十四世千五郎を襲名、千五郎家の当主に。弟茂と「傅之(かしずきの)会」を、落語家の桂よね吉と「笑えない会」を主催。
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狂言師 茂山忠三郎(しげやま・ちゅうざぶろう)(35)
 1982年生まれ。86年に初舞台。父の四世茂山忠三郎を亡くし、29歳で忠三郎家の当主に。七回忌の2017年8月、五世忠三郎を襲名。「忠三郎狂言会」を主催するほか海外公演も多数。
 

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎