ナビゲーターで狂言師の茂山童司さん(右)と、第13回のゲストで舞踊家の楳茂都 梅弥月さん

新編 上方風流

第13回 狂言師 茂山童司(35)×舞踊家 楳茂都 梅弥月(35)(2018年4月2日掲載)

 上方芸能の20~30代の演じ手が半世紀前にジャンルを超えて集い、同人誌「上方風流(かみがたぶり)」をつくり上げた。その一人、狂言師茂山千之丞(せんのじょう)の孫、茂山童司が案内する「新編 上方風流」。今回は日本舞踊の一つ、楳茂都(うめもと)流の楳茂都梅弥月(うめみづき)を迎え、和洋を問わない活躍ぶりについて語り合った。

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茂山童司(童) まずお流儀について伺っていきたいんですけども。

楳茂都梅弥月(梅) 山村流、井上流、吉村流、それに楳茂都流で上方舞四流と言われています。楳茂都流は、江戸末期に御所に仕えていた鷲谷正蔵が創始者で、息子の初代扇性(せんしょう)が大阪の天満で楳茂都流を名乗りました。

(童) じゃあ、いまで200年くらいですね。

二代目の家元(二代目扇性)が振り付けの天才で、いまある曲の多くを残されました。三代目(陸平)は宝塚歌劇とか京都の花街、宮川町の「京おどり」とか、群舞を主に振り付けた方でした。

ほかの上方舞と比べて、うちはこれが特徴だよみたいなのって、どういうところになるんですか。

ume04sab.jpg 優美でやわらかな雰囲気でしょうか。花街に根づいていたので、足使いとか体の角度とか、女性が美しく見えるラインを突きつめているかなと。

なるほど。いまの四代目の家元は、歌舞伎俳優の片岡愛之助(三代目扇性)さんですよね。

三代目家元が松竹さん(松竹楽劇部=現OSK日本歌劇団)や上方歌舞伎の振り付けをしていたご縁がありまして。三代目が亡くなり、娘の七菜子先生を会長に舞踊協会制で運営してきましたが、二十三回忌のとき、やはり男性に家元になっていただきたいというお話が出たんです。2008年なので、ちょうど10年前になりますかね。

お名前のある方が継がれると、上方以外の方にも楳茂都の名前が広まりますよね。舞って、何番くらいあるんですか。

楳茂都流には(振りを記した)舞踊譜というのが残っていて、それが950点。それらを解読する「楳茂都流型付(かたつけ)研究会」という活動を、流派の方と去年から始めました。譜を読める方が少ないのですが、先生方がされてきたので私も受け継ぎたいと。

みんなで見られるようになっているっていうのは、すごくいいことですね。950のうち、舞われたのは?

去年は1年目の研究発表で3曲、忠実に再現しました。

「忠実に」とあえて言うぐらい、いま残ってるものとは違うんですね。

舞いやすくしたりとか、伝言ゲームのように人から人に伝えられるうちに、少しずつ変わっていくことはありますね。あとは眠ってしまってる作品とか。

1回の発表につき3曲だと、あと300回以上も研究会をやらないといけないですよね。

慣れてないからだと思うんですけれど、二代目の譜を読むのに2、3カ月かかりました。

それを一つひとつ。テスト勉強みたい(笑)。

さらに振りを起こすのに何回か皆で集まって。舞自体は誰も見たことがないのでね。

書いてある字は読めるけど、型の再現は難しいですよね。うちは、僕の曽祖父(十一世千五郎)が書いた台本がベースなんですけど、初見では何も読めない。当て字とかいっぱいだし。でもわかってくると、だんだん読めるようになっていく。せっかく残してくれたものだから、皆さんで読めるようにして、当時の形が伝えやすくなるといいですよね。

いくつのころから舞をやってらっしゃるんですか。

ふたつからです。6歳のときに本舞台を踏ませていただきましたが、おてんばだったので舞に収まりきらず、そのころからバレエもお稽古して。

2歳からやってたら、僕ら家の子と同じじゃないですか。

真剣に舞を受け継ぎたいと思ったのは、18歳でいまの師匠(梅咲弥〈うめさくや〉)についてからです。師匠や大師匠(梅咲〈うめさき〉)の楽屋について背中を見てるうち、これは何という神聖な世界なんだろうって。そのうえで周りを見回したら、若手がいない。師匠の言うことを私が受け止めないと、なくなってしまうと思ったんです。

正直なところ、ちょっとチャンスみたいなところもあったんですか。それとも、責任感ですかね。

そのころ、私はモダンダンスのカンパニーで国内外で踊っていました。でも、日本人として生まれたのに洋舞ばかり踊ることに、違和感を感じていたんですね。表現として日本的なことがしたいという気持ちと、身を置いていた環境が合ったんです。

全然違うスタイルの踊りをするのは、体の使いどころが違うだろうし、大変だろうなって素人なりに想像できますけれど。

どっちも好きなので苦労と思ったことがなくって。全然違うスイッチを押す感覚だと思います。

へえー。なかなかいないですよね、両方ちゃんとやってる方って。

モダンダンスはミュージシャンと一緒にやることが多いんですけど、音からインスピレーションを受けて、出てくるものを舞台にのせるやり方をしてるんです。歌詞を見て曲を聴いて、情景が浮かぶ。そういう感覚は舞にも生かされてるかな、と。

舞もダンスも、そこにないものを体一つで表現するわけですもんね。情景がどれくらい見えてるかで、お客様に届く濃度も変わってくるでしょうし。

 舞は10のエネルギーをギュッと凝縮して3くらいに見せるんですけど、その感じがダンスを踊ってても出るらしくて。

スイッチで切り替えてても、お互いにリンクしてることはあるんでしょうね。公演で両方やることはないですか。

舞は伝統芸能なので、ダンスとは絶対に混ぜないのがポリシーです。先生方がされてきたものを、なるべくそのまま受け継ぎたい。新しいことをするときは楳茂都の名じゃなく、ダンサーとしてやるようにしてます。

僕はどのスイッチを押しても、喜劇しか出てこないです。基本元ネタは一緒くたなんで、それが狂言とコントのどっちに向いてるかで決めます。

いいですね。コントを入り口にして、狂言に興味をもつ方もいそうですよね。

そうなればいいんですけどね。僕らが10~20代のころ、伝統芸能のブームが起きたんです。若いお客さんが僕らを見に来てくれて、でも最終的に祖父らのファンになっていく。何回も見て目が肥えてくると、あっちの方が面白いって(笑)。

私も背中を見せて下さる先生方に近づきたい。まだまだ遠い背中です。

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狂言師 茂山童司(しげやま・どうじ)(35)
1983年生まれ。祖父は茂山千之丞、父は茂山あきら。86年初舞台。自作の新作狂言を上演する「マリコウジ」と、自作コントの公演「ヒャクマンベン」を主宰。  
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舞踊家 楳茂都梅弥月(うめもと・うめみづき)(35)
1982年生まれ。2歳で上方舞を始め、高校卒業後から楳茂都梅咲弥に師事。2015年に楳茂都流師範を取得。モダンダンサー「miduki」としても活動する。  

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎