ナビゲーターで狂言師の茂山童司さん(中央)と、第12回のゲストで漫才コンビ「銀シャリ」の鰻和弘さん(左)、橋本直さん

新編 上方風流

第12回 狂言師 茂山童司(34)×漫才コンビ 銀シャリ(2018年3月5日掲載)

 

 1960年代、上方芸能の20~30代の演じ手がジャンルを超えて集い、同人誌「上方風流(かみがたぶり)」を編んだ。その一人、狂言師茂山千之丞(せんのじょう)の孫、茂山童司が案内する連載「新編 上方風流」。今回は漫才コンビ「銀シャリ」の橋本直と鰻和弘に、「しゃべくり」へのこだわりを聞いた。

茂山童司(童)  「上方風流」に夢路いとし・喜味こいし師匠が参加していたんですよ。

銀シャリ えっ! いとこい師匠!

 桂米朝師匠とともに大衆芸能部門に。それで漫才のお話をお聞きするのに、いとこい師匠のしゃべくり漫才にルーツがある感じの若い方を、と考えたらお二人じゃないかと。

銀シャリ 恐れ多いです。でも、うれしいです。

 お二人はどうして漫才を?

橋本直(橋) 関西だから、小さいころからテレビで漫才番組がよく流れてたんで。いとこい師匠も拝見してました。
鰻和弘(鰻) 確かにずっとやってましたね。僕もおやじに喫茶店に連れていかれて、よう見せられました。その影響かもしれないですね。

特別な決心とか。

 当時はあんまりなかったですね。
 反対もされなかったです。

 コンビを組んだのは?

 大学4回生のときに養成所(吉本総合芸能学院=NSC)に入ったんです。
 僕は高校卒業で。
 M―1が初めて開かれた次の年(2002年)で、大阪校だけで900人くらいいました。クラスも違ったし、お互い別々のコンビを組んでいたんですが、ちょうど同じくらいのタイミングで解散したんです。
 橋本の元相方と仲がよかったので、紹介してもらって。

 直接習う師匠はいらっしゃらないんですよね。

銀シャリ いてないですね。

 昔は漫才の世界でも師匠に弟子入りして、っていうのがあったじゃないですか。いつからなくなったんでしょう?

 NSCができてからじゃないですかね。1期生(1982年)にはダウンタウンさんらがいらっしゃいました。そのころから吉本の入り方が変わったんだと思います。でも、NGK(なんばグランド花月)にはいまも師匠(ベテランの漫才師)がたくさん出られているんで、その舞台の袖が教科書みたいなもんです。その全員が師匠とも言えます。

 僕の中では、お二人は漫才してはるのと同時にテレビ番組でロケしてはるイメージが強いんです。

 ありがたいことにロケはたくさんさせていただいてます。大阪でロケが多いのは、おばちゃんとか一般の人が面白いからやと思うんですよ。無視しないし、返しが面白い。
 面白い話がめっちゃある。
 こっちもおばちゃんを上回る面白さを見せないと認めてもらえない(笑)。ロケでのスキルが自分たちの漫才にいきてます。

 お話を聞いていて、大阪におけるお笑いって巨大な伝統芸能と言えなくもないのかなと思いました。プロになる人もいれば、自分が開いた居酒屋で面白い話をするおっちゃんもいる。

 エキストラがいない感じがします。全員なにかしらお笑いをたしなんでる。意識しなくても、息を吸うかのように勝手に英才教育を受けているのかもしれないですね(笑)

 最近のお笑いの舞台って、コントをやっている人が多いイメージがありますが、お二人はしゃべくり漫才をされている。スタイルへのこだわりはどこから?

 コントが下手なんですよ。役になるっていうのが難しい。
 苦手なことを省いていったらこうなりました。
 コントは、違う人物をボンボン出してバンバン切り替えれば、(しゃべくり漫才より)スピードが出る。でも、過去のレジェンドたちのしゃべくりがかっこいいなって思ってたこともあって。やすきよ(横山やすし・西川きよし)師匠とか。
 そうそう。
 やすきよ師匠のネタって、同窓会に行ったりとか、どこどこ行ったりとかで場面は変わるけど、本人のままじゃないですか。女の人をやるときでも、やすし師匠がやるから面白いわけで、地の延長線上なんです。コントだけやると人柄が見えず、どういう漫才師かわかってもらえない。僕らも、漫才のネタが面白いというのじゃなくて、銀シャリがやるから面白いって言われるのがベストですね。


 いいこと言ったなあ、いま。めっちゃいいこと言った。ゴールですね。

 ネタはどちらが書かれるんですか。

 一緒にしゃべりながらです。最近はアドリブも多くなりましたね。でも、アドリブって言っちゃうと、そのほかのところはネタ合わせしてんのかってなるんですけど、基本全部アドリブっていう「ファンタジー」としてお届けしたいんです。
 普通に出てきてしゃべってる。
 だから鰻もボケてなくて、真剣にその思想の持ち主ということなんです。
 ほんまに思い込む。これがほんまに難しい。奥深いっすよ。
 だから舞台の裏側で、廊下でのネタ合わせとか撮ってほしくないんですよ。舞台で「ネタ飛んでるやんけ」とか「台本と違うやんけ」とかも絶対言いたくない。ファンタジーなんで!

 そのとき思いついたことをしゃべってる雰囲気にしたいんですね。

 ほんまはこれも書いてほしくないんです。

 お二人が大阪から東京に出てきて1年がたちました。今後、どんなお仕事をしたいですか?

銀シャリ 舞台ですね。

 テレビのお仕事よりも?

 漫才師として世に出させてもらったんで、これはライフワークですね。
 最終ゴールは、しゃべり始めた時点でウケたいですね。
 昔、(笑福亭)仁鶴師匠が出演するときに、「笑福亭仁鶴」とめくりが出た瞬間に爆笑になったという伝説がNGKにあるんです。そんな最強なことはないと思うんです。

 僕の大叔父で亡くなった(先代の)千作というのが、幕が上がって舞台に出てきただけでお客さん笑ってました。

銀シャリ それですね。
 一昨年まではM―1で優勝するために頑張っていたけど、いまは自分らで設定したハードルを越えないといけないしんどさはあります。
 すべるのをびびらず、どんどん新ネタを出していくしかないかもしれないですね。
 いまのタレをそのまま使わず、新しいタレを継ぎ足していかないと。いままでのスキルと経験値をいかし、違うルートから攻めたネタを継ぎ足していったら、常にアップデートできると思うんです。
 まだまだ成長できるはずです。「極み」みたいなところまでいきたいっすね。

狂言師 茂山童司

狂言師 茂山童司(しげやま・どうじ)(34)
 1983年生まれ。祖父は茂山千之丞、父は茂山あきら。86年初舞台。自作の新作狂言を上演する「マリコウジ」と、自作コントの公演「ヒャクマンベン」を主宰。
銀シャリ
漫才コンビ 銀シャリ
兵庫県伊丹市出身の橋本直(37)=写真左=と、大阪府八尾市出身の鰻和弘(34)が2005年に結成。16年に上方漫才大賞の奨励賞を受賞し、M―1グランプリで優勝した。

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎