ナビゲーターで狂言師の茂山童司さん(右)と、第11回のゲストで能楽師の大槻裕一さん

新編 上方風流

第11回 狂言師 茂山童司(34)×能楽師 大槻裕一(20)(2018年2月5日掲載)

 上方芸能の20~30代の演じ手が半世紀前にジャンルを超えて同人誌「上方風流(ぶり)」を世に出した。その一人、狂言師茂山千之丞(せんのじょう)の孫、茂山童司が案内する連載「新編 上方風流」。今回は人間国宝の能楽師、大槻文蔵の芸養子になった大槻裕一をゲストに招き、語り合った。

狂言師 茂山童司

茂山童司(童)  (芸養子で)名前が大槻さんになって何年目ですか。

大槻裕一(裕) 今年で6年目です。

 じゃあ、だいぶ「大槻さん」と呼ばれるのに慣れた感じですか。

 自分のことか、というのはわかるようになりました(笑)

 能や狂言の世界ではたまにありますが、最近は珍しいですよね。自分でなるって言うたんですか。

 いえいえ。文蔵先生からお話がありました。「なります」と決断したのが中学3年の夏。冬には御宗家(観世清和)にごあいさつに行ったり、記者発表があったり、中学生なりに「自分で大丈夫なのか?」と何度も悩みましたが、少しずつ覚悟が定まっていったという感じです。

 未知のイベントが突然たくさんありますもんね。若くしていきなり人生に変動があったんですね。

 ありがたいことに芸養子になって舞台の数も増えましたし、活動場所も広がりました。あと、人との関係もたくさん築けました。

 ほう。

能楽師 大槻裕一

 芸養子になったとき、「東京に稽古行ってこい」と言われて、伺った場所は(大鼓の人間国宝)亀井忠雄先生のところでした。それまでに何度かお舞台をご一緒させていただいたことはありましたが、僕にとって先生は雲の上の神様。大鼓の稽古を通して能そのものを教わったという感じです。あと、先生と関係が築けたことが幸せでした。(芸養子になっていなかったら)楽屋でお話しする機会もなかったかもしれないし、僕の存在すら知られていなかったかもしれない。

 では、今後もこのまま続けていく。

 はい。能はやめないと思います。僕はすごい飽き性で、能以外のことって一通り全部飽きてきたんですよ。

 ずっとやってる趣味はないんですか?

 ないですね。パソコンを使うのが好きなんですけど、ずっとしてたら飽きちゃうし、車の運転も好きなんですけど、ガソリンなくなったら、もうやめよかなって。

 それ飽き性なんかな(笑)

 でも能は満足のいく舞台なんていままでないし、飽きるところがない。パソコンや車はそれのせいにできるけど、能は間違ったり覚えられなかったりしたら、自分のせい。嫌と思ったことは一回もないです。

 小さいときにお父様(実父、能楽師の赤松禎友〈よしとも〉)から「能をやれ」みたいなこと、言われたんですか。

 うちはまったくなくて。

 じゃあ自分でやるって思わなければ、能楽師になってなかった。

 人前に立つのは好きじゃないんですけど、演じるのは好きなんですよ。

 何か違う人格を通していればOKなわけですね。じゃあ、能はうってつけですね。何かが降りてきて、という芸能ですもんね。

 能をやっていて、関西って意識しますか。

 東京の舞台に出ることもあるのですが、お客さんの空気は違いますね。例えば、地謡(じうたい)で出演して一曲が終わったら、大阪だとみなさんすぐに拍手されます。登場人物が1人ずつ退場するときもそれぞれに拍手される場合もある。東京は、最後まで舞台に残っていた囃子方(はやしかた)と地謡が帰るときだけ、全員に対して拍手されることが多いです。

 1発目の拍手のタイミングは違いますよね。狂言も違いますね。大阪のお客さんは笑いに来られる感じ。大きなオチの前に「くすぐり」って言って、ちょっとずつ面白く上げていって、最後に思いっきり笑わす、みたいなことがしたいのに、大阪ではくすぐりで笑われてしまうから、一番落としたいところがいきなかったりする。

 なるほど。

 東京の人は、きっちり見る感じですね。くすぐりは「まだやろ、次来るな」って。だから、最後のオチがうけなきゃ冷たいですけどね。ああ、それだめだねって。で、関西でも京都はまた違って、「見に来てあげてるんやさかいに、やってみ」って雰囲気(笑)

 楽屋も違うと思うんです。上方は柔らかいというか、みんなが緊張をほぐしあって舞台に出ようぜという雰囲気がありますよね。装束を着けるのも全員が手伝う。東京は、みなさんそれぞれ独特の緊張感を持っていて、地謡なら地謡に集中されるという感じなんです。装束にはタッチしないでおこうという空気があって。気持ちの持ち方の違いっていうんですかね。

 関西は、基本的にみんな小さいころから知っている状況で、逆に東京は、観世流ですといろんな方が地方からおいでになって、常に他人が流入してくるっていうのもあるかもしれないですね。

 それもあるかもしれないですね。

 能や狂言は東京でも関西でもやることは基本的に同じで、明確に東西を分けにくいジャンルではあるんですけど、これまでに登場していただいた方に聞いても、みなさん一様に雰囲気は違うよね、っておっしゃる。そういうところは脈々と受け継がれてきている部分なのかなと思います。

 能や狂言の楽屋って独特ですよね、全員一緒で。歌舞伎や演劇って、おのおの個室じゃないですか。

 個室がない。だからホールで公演する場合に使いづらかったりしますよね。

 そうそう。前に個室のときがあったんですけど、どうしたらいいの?みたいな感じで慣れなくて。で、結局、みなさん廊下に集まるんですよ(笑)

 狂言会のときも個室を用意してくれていることがあるんですけど、気がつくと、上の人もみんな若いのがいる部屋に来てるんです(笑)

狂言師 茂山童司

狂言師 茂山童司(しげやま・どうじ)(34)
 1983年生まれ。祖父は茂山千之丞、父は茂山あきら。86年初舞台。自作の新作狂言を上演する「マリコウジ」と、自作コントの公演「ヒャクマンベン」を主宰。

能楽師 大槻裕一

能楽師 大槻裕一(おおつき・ゆういち)(20)
 1997年生まれ。父は能楽師の赤松禎友(よしとも)。2000年、仕舞「老松」で初舞台。13年4月に大槻文蔵の芸養子となる。「大阪城本丸薪能」など公演の企画にも携わるほか、オペラや歌舞伎の公演にも出演。

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎