ナビゲーターで狂言師の茂山童司さん(右)と、第7回のゲストで木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一さん

新編 上方風流

第7回 狂言師 茂山童司(34)×木ノ下歌舞伎主宰 木ノ下裕一(32)(2017年10月2日掲載)

 上方芸能を担う20~30代の演じ手がジャンルを超えて集い、半世紀前に伝説の同人誌「上方風流(かみがたぶり)」を編んだ。その一人、狂言師茂山千之丞(せんのじょう)の孫、茂山童司が案内する対談企画「新編 上方風流」。7回目は歌舞伎演目を現代演劇として上演する木ノ下歌舞伎を主宰し、古典芸能に詳しい木ノ下裕一を招いた。

木ノ下裕一(木) 僕は小学校3年のときに上方落語を聴いて古典芸能に興味を持ったんです。中高のころはもう古典好きでしたから、深夜放送で茂山家のドキュメンタリーを見て。そこに童司さんも当然出てくるし、お名前は存じ上げてました。初めてお会いしたのは、僕の記憶では京都造形芸術大学で上演された千之丞師演出の日本舞踊の会。僕は学生ボランティアスタッフでしたけど、茂山家総出演で、うわ、みんなスターや!って超緊張してたときに童司さんはいらっしゃった。

茂山童司(童) その後、色々あって意気投合して(笑)。僕とは逆の方、現代演劇の方から古典やってますみたいな人っていないから、面白いなと思ってて。シェークスピアとか外国のものはやるけど、日本のは誰もやらんから。

 ほんとそうで、僕らの世代は「ロミオとジュリエット」と言われたら何となくイメージするものがある、悲恋かなとか。けど「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」は誰もわからない。ストーリーが似てるんです、ロミジュリと近松半二の浄瑠璃「妹背山」は。歌舞伎や文楽の入門書でよく「日本版ロミジュリ」って書かれるくらい。でも、本来ならシェークスピアの専門書に「西洋版妹背山」って書くべきですよね。そんなゆがみも面白いし、日本の古典をシェークスピアのように新演出できないかなと考えたのが、木ノ下歌舞伎を旗揚げしたきっかけですね。

 古典の歌舞伎と、自分がつくる新しい木ノ下歌舞伎で、演目の解釈はどう意識してます?

 どう解釈したら面白くなるかってことですね。あと「これを現在(いま)上演する意味は?」を問い続けるってことかな? それは演目によるけど。同じ演目でも上演する時期によって、言いたいことが変わるしね。

 たとえば今回の「心中天の網島」は。

 原作は近松門左衛門です。近松は恋愛作家みたいに思われている節もあるけれど、近松の書く心中って単に陶酔感のある恋愛ではないんですよ。刺し違えて痛み苦しむとかね、全然美しい心中場じゃない。では何がしたかったかというと、近松は網とか格子とか川とか、網目状のものをモチーフに、世界を俯瞰(ふかん)的に捉えようとした。大きな宇宙と、そのなかで2人のちっちゃな心中、人間が生きて死ぬことの愛(いと)おしさを描いている。その辺に力点を置こうとしてます。

 2年前の初演と今回で違いますか?

 今回は舞台美術を新しくしたり、台本を一部書きかえたりしています。けど、仮にわかりやすい変化はなかったとしても、再演するとやっぱり変わりますよね。僕の考えも何年かたつと違ってくるし、初演の慌ただしさのなかでちょっと脇に置いたアイデアとも向き合える。もう1回自分たちを認識するというか、クリアにわかるのは再演です。でも、どうです? 狂言を同じ台本、同じ配役でやってても、きっと違っているでしょ?

 古典に関して言うと、やっぱり型の芸能なんだなって感じるのは、再演するたびに僕の考えが変わるというよりも、やってみたら、ああこういう考えだったんだって、後発的に気付くことが多い。

 はい。

 やってるときは、そこまで緻密(ちみつ)に論理で考えてるんじゃないから。その場の空気で(共演者と)お互いに合わせながら動いた結果、違う話になってるというのが後からわかる。稽古を通してある程度深められるんだけど、自分への戒めとしても思うのは、あまり考えすぎると良くない。頭で考えてるものを舞台でトレースしてしまうと、「この場面にこんな感情があったとは!」という、思いもかけないものが出てこないから面白くないんだよね。

 僕らが歌舞伎を完全コピーするところから稽古を始めるのは、下座音楽が重要だったり、せりふの言い回しに誇張があったりして、そこをわかっていないと手も足も出ないから。
 普通のお芝居でいえば、立ち稽古に入る前に本読み稽古があって、みんなで本を深めていくでしょ? あれの代わりに完コピ稽古があるっていう感じです。だけど面白いですよ。俳優さんも初めは何でこんなことやってるんやろって思うんですけど、読み解き始めると俄然(がぜん)、歌舞伎が面白くなってくるらしいです。

 やってるとだんだんわかってくるよね。

 型のなかに含まれている意味みたいなものが、どんどん解凍されていくというか。単なる様式だと思っていたら、実はすごくリアリズムに則(のっと)っていることがわかったりします。

 上方風流には舞台に出てる側の人間だけじゃなくて、評論の人たちも入ってた。いまこの辺のポジションにいるのは誰だろう、ということで、木ノ下君に話を伺おうということなんですけれども。

 恐れ多いです。でも、たとえば観客を増やすことで言えば、批評の責任は重いと思うんですよ。かつて批評家としてちゃんとした人は、タレント性もあった。戸板康二先生がテレビに出てきて面白い話をするとかね。安藤鶴夫さんなんて、ほとんどタレントですからね。自分のラジオ番組を持っちゃう人ですから。

 そうやね。


 芸を論じながらも、あるところでは水先案内人に徹することができる。観客と古典をつなげる、まだ古典に出会ってない観客を開拓するのは、もちろん古典芸能家の仕事でもあるのですが、僕はその周辺にいる批評家なり、ブレーン的な人が動かないといけないと思うんですよね。
 と考えたら、上方風流はすごい。権藤先生のページでは、同じ文楽の批評を集めて抜粋して並べてる。これはコンペティションでしょ? どの批評が良いとは言ってないけど、同じ演目について違う批評家の文章がこんだけ並ぶと、差は歴然としますよね。視点が狭いか広いか、書き方に品があるかないかも含めて。つまり、批評に対しても危機感を持っていた。演者たちは頑張るけど、批評も頑張れよと。実演者と、それについて語る人が同等に扱われてることに、僕は希望を感じたんです。

 うーん。でも、頑張る人がいないっていう話よね、いま。外国に舞台しに行くといつも感じるけど、日本だけ批評文化が全然機能してないやん。

 そうですよね。

 外国では毎週何曜日の新聞にプレビューの批評が出て、それによってチケットの売り上げが変わる。去年シンガポールの演出家とやったとき、初演時に批評で書かれたことを再演に向けて直してた。頑固そうなおっちゃんが(笑)。だから何やろ、やる側にも耳を傾ける気があるやん。

 そのためには、耳を傾けさせるような、説得力ある批評じゃないといけないし。

 僕らも批評家の方ともっと話し合っていくべきなんだろうけど。

 僕ね、批評の定義を1回見直すべきやと考えてて。自分自身の定義があるんです。さっき言った水先案内人の役割とは別に、アーティストがいま、どこにいるかをちゃんと指摘できる、くま取ってあげる文章っていうのが批評やと思ってるんですね。前はあの役をやっていた。で、いまこの役をやっているのは、次にあの役に行くための布石だろう。そこを鑑みた上で、今回のこれは良い、もしくは良くないとか。つまり、実演者がいまどの段階にいるのかを紐解(ひもと)く。それができてこその批評なんじゃないかな。でないと、外から見てる意味がない。芸の良しあしはお師匠さんが一番わかってる。俯瞰で、いまその人がどこにいるか、何をしたいと思っているかをくま取ることなんです。

 そういうのやったら読んでみたいけどね。自分のも、ほかの人のも含めて。

 そういうのがちゃんとアーティストに届くんですよ、きっと。そんな批評がもっと出てくるべきです、って、僕は批評家やないから勝手に言ってますけど(笑)。

 ね、出てくるといいよねえ。

(公益財団法人セゾン文化財団 森下スタジオにて収録)

狂言師 茂山童司

狂言師 茂山童司(しげやま・どうじ)(34)
 1983年生まれ。祖父は茂山千之丞、父は茂山あきら。86年初舞台。自作の新作狂言を上演する「マリコウジ」と、自作コントの公演「ヒャクマンベン」を主宰。

木ノ下歌舞伎主宰 木ノ下裕一

木ノ下歌舞伎主宰 木ノ下裕一(きのした・ゆういち)(32)
 1985年和歌山市生まれ。京都造形芸術大学で現代の舞台芸術を学び、2006年に木ノ下歌舞伎を旗揚げ。古典芸能に関する執筆や講座など多岐にわたって活動中。
■公演情報
 木ノ下歌舞伎「心中天の網島――2017リクリエーション版」 5~9日、京都市左京区のロームシアター京都(075・746・3201)。一般3500円など。演出・作詞・音楽はFUKAIPRODUCE羽衣の糸井幸之介。

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎