ナビゲーターで狂言師の茂山童司さん(右)と、第4回のゲストで歌舞伎俳優の中村壱太郎さん

新編 上方風流

第4回 狂言師 茂山童司(34)×歌舞伎俳優 中村壱太郎(26)(2017年7月3日掲載)

 1960年代、上方芸能の20~30代の演じ手がジャンルを超えて集い、同人誌「上方風流(かみがたぶり)」を世に出した。同人の一人だった狂言師茂山千之丞(せんのじょう)の孫、茂山童司をナビゲーターに古典芸能のあり方を見つめ直す「新編 上方風流」。4回目は歌舞伎の人間国宝である坂田藤十郎の孫、中村壱太郎(かずたろう)がゲスト。去年、現代劇で共演した2人がざっくばらんに話し合った。

お二人は去年、舞台「三代目、りちゃあど」(野田秀樹作、オン・ケンセン演出)で共演し、「ふじのくに⇄せかい演劇祭2016」(静岡市)やシンガポールなど、国内外で公演しました。

中村壱太郎(壱) 去年の3月、公演の稽古のためインドネシアのバリで2週間ほど合宿したんです。童司さんはその直前の1月にお芝居を見に来てくださって、それが初対面でした。

茂山童司(童) 歌舞伎の御曹司やからと身構えてました。でも話をすると、普通に学生生活を送っていたし、ラーメン屋でバイトもしてたと知って、普通の人や、よかったって(笑)

 僕も、童司さんは近い世界の方なので、いろんな話を聞いていらっしゃるだろうなと恐怖感はありました(笑)。だから逆に、バリで一つ屋根の下じゃないけれど、学生寮みたいなところで過ごして、新しい友だち、先輩が増えた感じで入れたのがうれしかった。好きな音楽を聴かせてもらったり、一緒に飲んだり。この業界ではこういう出会い方はなかなかないですもんね。

 伝統芸能同士の会みたいなところで出会っても、また違った感じやったやろうしね。壱太郎君は台本にびっしり書き込むんですよ。書き込むところがなくなると、台本を新しくしてまた書き込む。「りちゃあど」では結局何冊になったんだっけ。

 静岡、シンガポール、巡業で3冊かな。童司さんに「全部頭に入っているの?」って聞かれて、「入ってないですね」って(笑)。書くと落ち着くんですよ。考えが整理されていくっていうこともあるかもしれません。

 香川で稽古したこともありました。

 僕が琴平町の金丸座の歌舞伎に出演しているときにみんなで来てくれました。

 僕らはいいんですけど、壱太郎君は芝居が終わったあと、午後7時とか8時から参加して夜中1時ぐらいまで稽古。そしてまた翌日昼夜の公演に出る。大変だったと思います。

 でも面白かった。一つの作品にこれだけ浸れることってないんですよね。2人で飲んでいるとき、童司さんが「2016年に何をやっていたかなって後々思ったとき、『りちゃあど』やってたと思える年になったらいいね」って言ってくださったことが、いまでも色濃く残っています。

 「上方風流」の存在は知ってた?

 祖父の世代でやっていたというのは。でも祖父から直接話を聞いたことはないですね。

 最終の8号が出たのがいまから50年前。そのころに比べて、上方の歌舞伎っていうのはどんな感じなんですか。

 歌舞伎には大きく分けて上方、江戸という異なった特色のものがあるんですが、いわゆる上方の役者はどんどん少なくなってきています。実数はわからないんですが、まず僕の同世代がいないんですよ。それでも、父が鴈治郎を襲名したり、(片岡)愛之助のお兄さんのご活躍で引っ張ってくださっていたりと、話題を提供することで火は消えてはいませんが。

 壱太郎君は東京生まれ東京育ちだけど、上方の役者としての思いはある?

 やっぱりありますね。特に上方のお芝居をやっているときは強く感じます。成駒家(なりこまや)は上方の家ですし、関西の公演に行くことも多いので。

 これまでのゲストの方とお話をしていてわりと共通しているようなのは、お客さんも芸に携わっている当人も、昔ほど江戸のもの、上方のもの、という意識が強くなくなっている気がするんですよ。

 うーん、それはあるかもしれない。うちは歌舞伎の家の中ではすごく短い方なんですよ。明治にできて、僕までで五代しかつながっていない。でも、上方の役者という雰囲気はおのずと出てくるものじゃないでしょうか。上方の歌舞伎を人より確実に数多くさせていただいてますし、普段は標準語ですけど、関西のお芝居のときは変な関西弁を話したくないって思いますから。

 上方風流の話に戻すと、このころほど横のつながりが親密じゃないよねっていうことなんですが。

 最終的にお客様にお見せできるところまでつながったらいいですよね。でも、童司さんの狂言を「りちゃあど」以来、生で見られてないですし、イベントで時々ご一緒させていただいている桂吉坊さんの落語もまだ聞いたことがないんです。だから、まずは相手を知ることが大切だと考えています。その積み重ねで何か催しができたらいいなあ。

 大阪松竹座の七月大歌舞伎(3~27日)にはどんな演目に出演するんですか。

 昼の部の「夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)」は、上方の遊女の役です。夜の「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」ではがらっと変わって江戸の芸者の役なんです。あと、「舌出三番叟(しただしさんばそう)」という珍しい三番叟を父と踊ります。実は僕、7月の大阪って久々なんですよ。だから、うれしくて。

 「関西・歌舞伎を愛する会」の公演でもあるんですね。

 その前は「関西で歌舞伎を育てる会」という名前で、朝日座や中座のときからずっと続いています。僕の小さいころは若手中心の公演だったんですよ。(片岡)仁左衛門のおじさまや(十八世中村)勘三郎のおじさまの夏の芝居はすごい盛り上がりだったと聞いていますが、その勢いはまだある気がします。特に「夏祭」は関西でやるにはとてもいい芝居。夏の芝居ですしね。

 それじゃあ、みなさん関西弁なんですか。

 そうですね。「夏祭」も「三五大切」も殺し場があるんですが、歌舞伎ってそうした場面をすごく美しく見せるんです。そういう歌舞伎の様式美も詰まっています。どの役も初めてなので楽しみです。

 全部初めてなんですか......。それはご苦労様です(笑)

狂言師 茂山童司

狂言師 茂山童司(どうじ)(34)
 1983年生まれ。祖父は茂山千之丞、父は茂山あきら。86年初舞台。自作の新作狂言を上演する「マリコウジ」の最新公演が、8月26日に京都市の大江能楽堂である。

歌舞伎俳優 中村壱太郎

歌舞伎俳優 中村壱太郎(なかむらかずたろう)(26)
 1990年生まれ。祖父は坂田藤十郎、父は中村鴈治郎。95年に初舞台を踏み、女形を中心に歌舞伎で活躍。2014年には日本舞踊の吾妻流七代目家元吾妻徳陽を襲名した。

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎