ナビゲーターで狂言師の茂山童司さん(右)と、第1回のゲストで落語家の桂吉坊さん

新編 上方風流

第1回 狂言師 茂山童司(34)×落語家 桂吉坊(35)(2017年4月3日掲載)

関西で活躍する上方芸能の担い手による対談企画(毎月第1月曜に掲載)です。狂言師の茂山童司さんを毎回ナビゲーターに、落語、松竹新喜劇、文楽、歌舞伎、能、浪曲、日本舞踊などの担い手をゲストに招いて、伝統芸能の継承者として思うこと、上方芸能の今後などについて、ざっくばらんに語り合ってもらいます。

上方風流の最終刊(第8号)が出て今年で50年になりました

茂山童司(童) 上方風流は何が目的だったんでしょうか。雑誌を出すことで世間に知ってもらいたかったのかな。

桂吉坊(吉) 声を上げたいという危機感があったのでは。古くから伝わる芸能の良さってなんやというところから始まって、いいところを継承したいけど、いまのままじゃ残らない。どうしたらええねんって悩んでいるもん同士が集まったんちゃうかな。 

 創刊号では、できたばかりの文楽協会をみんなぼろかす言うてる。でも、文句を言えるほど狂言や舞踊の人間が文楽を知っていたってことですよね。

 このころはみなさんお互いをめっちゃ見てはる。ようは暇やったんやと米朝師匠から聞きましたが(笑)

 当時と比べて関西のそれぞれの役者は会ってない気がする。でも吉坊さんは、ほかのジャンルの方と個人的に親しくされているイメージがある。

 それは結局、上方風流のおかげなんですよね。米朝の内弟子のときに、上方風流の仲間である先生方と一緒になる場に僕もついていかしてもろうた。これがでかかった。うちの師匠はいろんなことをして、いろんな人としゃべっていた。一つの理想の形です。

 うちは大蔵流なんですが、関東と関西にそれぞれいる。同じ流儀でもほとんど付き合いがなくて。祖父や父の時代はみんなで温泉旅行に行ってたけど、それぞれの家に役者が増え、忙しくなってつながりが絶えていた。それで一昨年、同世代が集まって年1回狂言会をすることになった。よその家の芸を見て、一緒にやるのも面白いって話になっているんですよ。

落語と狂言はともに笑いの芸ですが、お互いをどう見ていますか

 同じ落語を違う噺家(はなしか)さんで見比べると、登場人物は同じなのにこの噺家さんはこういう雰囲気でやるんやなあと。落語のキャラクターにはその噺家さんの個性が濃く出る。役者はそれぞれの役に自分をあてはめていくけど。

 そうですね。わりとキャラクターをこっちに寄せますね。

 全然プロフィルがない役に対して、自分とどれくらい切り離すのかというバランスは、落語を見ていてすごく勉強になる。

 狂言はほかの舞台芸能の中で近しい存在と感じてます。お互い、「ないものをあるように見せる」という芸能ですけど、見せ方が違う。バリバリとか、擬音の使い方は特にずるい(笑)

茂山家と米朝一門は2001年から「お米とお豆腐」というコラボ公演を開いています

 うちは千之丞の影響もあって、10代半ばぐらいからコラボを山盛りやってるんですけど、吉坊さんはそんなにされてませんね。

 してませんね。いろんなジャンルの人と話すのは好きなんですけど、自分で会をしようとは思わない。なんとなく、中途半端になってしまうような気がして。

 (主催者から)この人と何かできませんか、と言われたら、できるんですよ。できるけど、これぐらいのものになるだろうと予想がつく。こんなものがつくりたい、だからこういう人を組ませたいというのではなく、とりあえず2人でやることだけ決まる。
 
 「お米とお豆腐」は初期をウチの師匠がやってましたが、本業をちゃんとやってる人同士が余興的にと言ったらおかしいかもしれませんが、真剣に遊んでる。僕は、やるんやったらこれやろなと思った。実は上方風流はみんなで飲んだりはしているけど、一緒に舞台をやることはほぼなかった。とりあえず何かやりましょう、ではなく、たとえば文楽なら文楽をなんとかしたいっていう、共通の気持ちがあったから集まれたんやろなと思う。

 孫世代の集まりはできますかね。

 上方風流は山田庄一先生が呼びかけ人なんですよね。山田先生みたいにいろんなものを知ってて、つなげられる人が必要なんちゃうかな。

   そういう方って誰かおられます?

 演者としてはいてますけど、山田先生みたいな人はあんまりいてないな。あ、「木ノ下歌舞伎」の木ノ下裕一。彼ならそれになるんじゃないかな。
 
 京都が拠点やしね。でも僕らより輪をかけて忙しい(笑)

 プロデューサー的な人も減っている気がします。いまは演者が自分でプロデュースできるようになっているじゃないですか。だから昔に比べて少なくなっているのかな。

 落語は1人でできる身軽さもありますよね。米朝一門でも違う活動をされている方が、たくさんいらっしゃるなと感じる。

 1人でプロデュースや演出もできてしまうし、舞台にも立てる。英語落語なんかもその例で、いい意味でばらばらになっている感じはあるんですけど、1人でつかめるお客さんの量を考えると弱いっちゃ弱いんですよね。上方風流の時代と状況は違うけど、なんとかせなあかんという気はします。

 危機感っていつの時代でも少なからずみんな持ってる。たとえば、(狂言も上演する)能の公演は僕が生まれてこのかた、ずっと減り続けている。現代の役者もそれぞれ努力してるんですが、もう少し違うアプローチを考えないといけない。うーん、やっぱり次の山田先生が必要ってことですね(笑)

茂山童司(しげやま・どうじ)
1983年生まれ。祖父は茂山千之丞、父は茂山あきら。86年初舞台。自作の新作狂言を上演する「マリコウジ」、自作コントの公演「ヒャクマンベン」を主宰。

桂吉坊(かつら・きちぼう)
1981年生まれ。99年、桂米朝門下の桂吉朝に弟子入り。2000年から3年間、米朝宅で内弟子修業をした。古典芸能への造詣(ぞう・けい)が深く、歌舞伎をもとにした芝居噺(ばなし)に定評がある。

上方風流発行人 山田庄一さん 「人生最大の仕事になった」

 上方風流の創刊号が世に出たのは1963年。発行者の山田庄一は冒頭の「“いいだしべえ”の記」で、こうつづっている。
 「上方文化の衰退が叫ばれ、復興が望まれてすでに久しいものですが、もはや現状は、単に歌舞伎とか、文楽という個々のジャンルだけでは、どうにもならない段階まで来てしまった様です。(中略)生粋の上方育ちが集まって、いいたいこと、書きたいことを発表しているうちに、“明日の上方文化”の方向を見つけることができれば」  山田は1925年、大阪・船場に生まれた。家にはごひいきの歌舞伎役者が出入りするなど、幼い頃から上方の芸能に触れて育ち、交友関係も広かった。刊行当時は毎日新聞で記者をしていた。「学芸部で劇評を書きたかったがなかなかできず、千之丞や米朝に何かできないかと相談したのがきっかけ」と振り返る。
 3人で方々に声をかけてできた創刊号は40歳未満の24人が参加。各界で評判を呼び、2号以降も様々な人間が参加した。だが、山田が東京の国立劇場開場の創立メンバーに加わるため新聞社を辞めたことや、メンバーが忙しくなってきたことから8号を最後に「休刊」状態となった。
 「上方風流のメンバーからこんなにたくさん文化勲章受章者や人間国宝が出るとは思わなかった。人生最大の仕事になった」と喜ぶ。「今はみな忙しいから難しいかもしれないが、孫の世代にも受け継いでほしいね」

◆「上方風流」創刊号の顔ぶれ
【能楽】片山慶次郎、山本真義、大倉長十郎
【文楽】竹本住太夫、竹本源太夫、鶴澤寛治、吉田文雀、吉田簑助
【狂言】茂山千之丞
【演劇】坂田藤十郎、藤山寛美、石浜祐次郎、大村崑
【大衆芸能】桂米朝、夢路いとし、喜味こいし
【舞踊】吉村雄輝、山村糸、山村楽正、花柳有洸、飛鳥峯王
【評論】山田庄一、権藤芳一、嘉納吉郎