
寂庵での日々について語る瀬戸内寂聴さん(中央)と秘書の瀬尾まなほさん(右)
中之島フェスティバルタワー・ウエスト(大阪市北区中之島、2017年完成)4階に、3月21日、中之島香雪美術館が誕生します。オープンに先立つ2月27日、館内で茶室開きがありました。茶室は、香雪美術館の本館(神戸市東灘区御影郡家)にある「玄庵(げんなん)」を、展示用として実物大で再現したものです。お点前を披露したのは藪内(やぶのうち)流14代家元の藪内紹智(じょうち)さん。超高層ビルの中で行われた茶室開きを取材しました。
織部の茶室の「写しの写し」
茶室の名前は「中之島玄庵(なかのしまげんなん)」。神戸・御影の本館の庭にある茅葺き屋根の茶室「玄庵(げんなん)」(1911年築、重要文化財)を、材料一つ一つに至るまで吟味し、伝統工法で再現したものです。御影の玄庵は、戦国武将の古田織部が考案し藪内家に伝わる「燕庵(えんなん)」(京都市下京区、重要文化財)を、忠実に模したもの。つまり、中之島玄庵は「写しの写し」として織部の茶室を現代に伝えているのです。
「大阪も寒いなと思いながら中に入ると、なんと桜の花が散っているのであります」。
茶室開きのあいさつで、秋山耿太郎(こうたろう)・公益財団法人香雪美術館副理事長は、こう言って笑いを誘いました。この桜は、茶室の周囲の壁にCG映像で再現した御影の風景です。映像は春夏秋冬・朝昼晩と変化し、鳥や虫の声も流すそうです。都心ではあるものの、天井が高く静かなビルの一角。そこに「市中の山居」を作ったというわけです。
茶席は舞台を見るかのよう
茶室開きのお茶席は、家元による薄茶の席。外から茶室の内部を見るには、普通は狭いにじり口から見ることになりますが、中之島玄庵は正面の土壁を大胆に外して、内部を隅々まで見せる展示方法をとっています。このため、まるで舞台上を見るように、お茶席の様子を「鑑賞」することができました。
客は6人。繊維強化プラスチックで再現された露地(茶室の庭)を通って、にじり口から中へ。正客は「MIHO MUSEUM(ミホミュージアム)」館長で茶道史研究家の熊倉功夫さん。次客は中之島香雪美術館の臼倉恒介館長。
床には1337年(南北朝時代)に書かれた大徳寺僧侶の墨蹟(ぼくせき)、藪内流初代・藪内剣仲(1536年~1627年)作の花入、中国・明時代の香合が飾られ、客が順々に拝見していきます。茶室開きで使われた道具はすべて香雪美術館の所蔵品。美術品としての存在感を感じます。ビル内ということで、炉は電熱式でした。
「桃の里」という名の主菓子を客がいただいた後、家元がこの茶室で初めての点前を行いました。茶碗は16~17世紀の名品ぞろいです。正客の熊倉さんが飲まれた中之島玄庵最初の一服には、「千歳(ちとせ)」という銘の青井戸茶碗(16世紀)が使われました。
茶をいただく客の表情や、「(床に生けた)椿の名前は、祝の盃と言います」といった家元と正客のやりとりなどを間近に見るうちに、お茶席はお開きとなりました。
御影・玄庵と感覚的にも同じ
家元に感想を尋ねると、「初めてということで緊張しましたが、御影の玄庵と感覚的にも同じように点前ができました」とのこと。「玄庵をよく再現したと思います。(展示では見えない)水屋もほぼ同じように再現されています」とも語られました。
館によると、中之島玄庵を使ったお茶席の予定は当面ないとのことですが、できれば違う道具の取り合わせで、また見てみたいと思いました。
中之島玄庵・・・設計・監修 中村昌生・京都伝統建築技術協会理事長▽施工 安井杢工務店(京都府向日市)
▽露地監修 中根庭園研究所(京都市)
◆香雪美術館
朝日新聞社の創業者・村山龍平(りょうへい)(1850~1933)が集めた東洋の古美術を収蔵する美術館として、1973年、神戸市東灘区に開館。重要文化財19点、重要美術品22点を筆頭に、茶道具、絵画、仏教美術、武具などを所蔵する。
◆玄庵と藪内流
村山龍平は、関西の財界人との交流を通じて茶を楽しむようになり、藪内流の藪内節庵に茶を学んだ。1911年、藪内流家元の茶室である燕庵の写しとして、神戸・御影の邸宅に玄庵を建てた。燕庵の写しを建てることは、相伝を得た人だけに許されていたため、破格の扱いだった。
◆中之島香雪美術館開館記念展「珠玉の村山コレクション~愛し、守り、伝えた~」
1年にわたり、コレクションの中から300点あまりを5期にわけて公開。
(構成 八田智代)
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