瀬戸内寂聴さん(中央)と秘書・瀬尾まなほさん(右)の講演会。寂聴さんの素顔や寂庵での日々が語られた=11月27日、大阪市北区で

特集

「メディアとともに創った象徴天皇制」  河西秀哉さん、関西プレスクラブで講演  2017年12月11日開催

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 2016年度の関西スクエア賞受賞者で象徴天皇制の研究者・河西秀哉さん(40歳、神戸女学院大学准教授)が、12月11日、在阪の報道各社でつくる関西プレスクラブの定例会で講演しました。テーマは「メディアとともに創った象徴天皇制」。報道という観点で語られ、しかも、天皇陛下の退位日が2019年4月30日に決まったばかりとあって、参加者らにも興味深い内容となりました。以下は、講演内容の抜粋です。



戦後の皇室、メディアとともに


 1951年、明仁天皇が18歳の皇太子のころ、大変人気がありました。ハンサムで、結婚したいという女性が続出したと、当時の新聞や雑誌は書いています。青年として登場してきたのでフレッシュですし、戦争と結びつかないイメージが、新生日本にふさわしいと思われたんですね。1951年に日本は講和条約を結び、52年に独立した。日本の独立の時期と皇太子が若手のホープとして登場する時期が、ぴったり合ったのです。この時期、メディアは皇太子を本当にたくさんとりあげました。皇太子の記事が昭和天皇よりも多かったんです。戦後の復興で新聞のページ数が増えると、皇太子の記事もより多くなりました。


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 その後、1958年からミッチーブームが始まりますが、1950年代後半というのは、出版社が週刊誌を出し、女性週刊誌も登場した時期です。メディアの発達状況とご婚約の時期がぴったり合ったんです。最初は、だれが皇太子妃になるんだろうと、ものすごく報道されます。元皇族・元華族が選ばれると思っていたら、予想以上の人が皇太子妃に決まり、ブームになった。テレビの普及とも連動して、人気に拍車がかかりました。


 「皇室アルバム」というテレビの皇室番組は、1959年の10月、つまり結婚パレードから半年後に始まり、当時は夜にみなが見られる時間に放送され、視聴率も20~30%ありました。その中では、美智子さまを含め皇太子一家が取り上げられることが多かった。モダンなキッチンに美智子さまが立っている姿は、当時、女性のあこがれだった専業主婦の姿でした。


 しかし、明仁親王は皇太子の時代が長く、やがて人々は飽きてきます。メディアも、40代になると中年で頼りないと言うようになった。若くフレッシュでもないし、かといって威厳もないということで、中年皇太子は批判を受けることになります。「紋切り型の対応をする」とも批判されました。平等に対応しなければということで、いろんな人に対して同じ対応になることを、批判したわけです。


 本人は人気の低下がよくわかっていて、いろんな模索をするようになります。その模索の一つが、美智子皇太子妃の影響を受けたということではないかと思います。1962年に宮崎県の病院を訪れている写真を見ますと、皇太子は立っているだけですが、美智子さまは病室のベッドに対してものすごく顔を近づけています。私が考えているのは、美智子さまは聖心女子大学出身で、キリスト教の影響があるのではないかということです。それと、ある時期、ご病気の時に精神科医の神谷(かみや)美恵子と接して福祉を学んでいくので、その影響もあるのではと思います。


 1986年、伊豆大島の噴火で全島民が避難したときの記事を見ると、避難先の東京の体育館を訪れた皇太子夫妻は、今の平成と同じスタイルになっています。座っているのです。おそらく美智子さまの影響を受けて、80年代に今のスタイルが定着し始めたのだと思います。


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 そして、象徴としての仕事を模索していき、社会福祉施設への訪問や、戦争の記憶に対して様々に取り組まれるなど、仕事をどんどんご自分で増やしていったと思います。


 さて、「平成流」の象徴天皇ですが、初めからうまくいったのではなく、メディアの伝え方は変化しています。平成の初めは、「開かれた皇室」と歓迎されましたが、一方で、1993年(平成5年)に美智子皇后へのバッシングがありました。威厳のない天皇制や開かれた皇室をやめさせようということで、その象徴である美智子皇后をたたくグループがいたということになろうかと思います。美智子皇后が失語症になったことでバッシングに対する批判が出て、今の路線への国民の支持は強くなります。だから、必ずしも最初はうまくいったわけではなかったわけです。



天皇の退位とメディア


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 「メディアとともに創られた」ということでは、昨年の出来事は取り上げざるをえません。天皇は昨年8月にお気持ちを表明されましたが、その前に、7月13日のNHKのスクープがあり、天皇が生前退位の意向を示しているとの報道がされたのです。このときの報道は「天皇のご意向が、今回の生前退位の問題の本質である」というふうに印象づけられるものでした。つまり、「明仁天皇がこう思っていらっしゃるのだから、もうこれが既定路線なんだ」という報道なんです。


 これはけっこう大きかったと思います。この後、学生に聞いても、「やめたいって言っているんだから、やめさせてあげればいい」と言いますし、各社の世論調査でも、「やめさせてあげればいい」という回答のパーセンテージが多かったんですね。これは、このNHKのスクープが、「おやめになりたいと言っていますよ、これが大事なんですよ」と言っていることから方向付けられて、その後、基本的に他のメディアもこの感じでいったわけです。つまりNHKがある種の方向性を規定した出来事といえるかと思います。今回のことはNHKがかなり主導していると思います。


 さて、政府はお気持ちを受けて有識者会議を開催します。天皇は政治に関与できないので、天皇のお言葉がもとで法律になったということにはできず、「やめさせてあげれば」という国民の世論が高まったから有識者会議を開いたという建前をとります。世論はやめさせてあげればいいとなっているから、政府としてもそれを認めざるを得ないという方向性だけれども、天皇がやめるのに反対の人もいるので、会議を開いて意見を聞き、ある種のガス抜きをして特例法を作ったわけです。


 次に、退位日の問題です。政府は2018年12月31日退位1月1日即位と考えていましたが、宮内庁が猛反対したと言われています。それは、年末年始は天皇の儀式が多いからです。新年のさまざまな行事があり、一般参賀があり、1月7日には昭和天皇が亡くなって30年のおまつりがありますから、それを避けたのではないかと言われています。


 最近までは3月31日退位4月1日即位と言われていたが、つい最近、4月30日退位5月1日即位ということになりました。理由としては、年度末はいろいろあるとか、統一地方選があるとか言っていますが、政府は「3月31日退位」という宮内庁の意見を聞きたくなかったのかなという気もちょっとします。このあたりは、まだはっきりとしません。


 おもしろいのは昭和天皇の誕生日が4月29日なので、皇室関連の日程が3日間続くんですね。国民動員されないようにしなければと、私なんかは思うんですね。国民に近い天皇制というのが平成のあり方ですから、もっとふれあいを持った儀式があればいいかなと思っています。



これからの皇室、国民も考える


 今後、近現代始まって以来の上皇が登場しますが、私は、上皇と上皇后は公務をしないほうがいいと思います。もし公務をすると、私たちやメディアもそちらに注目すると思います。それでは天皇や皇后よりも目立ってしまう可能性があり、二重権威になってしまう。それは今後、考えなければならないと思います。


 次の雅子皇后についてですが、皇后の仕事は、憲法にも皇室典範にもどこにも書いていません。美智子皇后は、「これが皇后にふさわしい」と考えるお仕事をご自分で生み出していきました。雅子皇后も美智子皇后のことを受け継ぎつつ、新しいことを考えていかなければならない。ただ、80代であれだけのことをこなされる美智子皇后は超人的だし、次の雅子皇后はご病気があるので、そこまでできないでしょう。だから、私たち国民も新しい皇后には違うあり方を求めていく必要があるのかなと思います。


 そして、そもそも象徴天皇とはなにかを、私たち国民が考えなければならない。平成は天皇・皇后お二人が一生懸命考えてこられて、われわれはそれがいいと受け入れてきたが、これもそろそろ限界を迎えるのではないでしょうか。お任せしているだけではお二人が大変ですよね。天皇制を続けるのであれば、われわれ自身も、象徴天皇とはなにかを考えていかなければならないと思います。


(構成 八田智代)